美的性質について・芸術の進歩について

アニメやマンガが大好きで、クラシック音楽やバレエや絵画のような「正統な」アートにあまり興味のない僕が「美」について語るなんてかなり抵抗があるんだが、二つのメモ。まず、僕はいまのところ「美」そのものはともかく、美的性質、つまり、かわいいとか…

精神の物理現象への還元可能性

何を言いたいのか分からないけど、そのまま。中山『現代唯名論の構築』も、パトナム『心・身体・世界』も、精神(心)の物理学の言語への還元可能性を、あっさりと必要のないものだと退ける。僕はジェグウォン・キムの著作をちゃんと読んでいないので公正で…

『心・身体・世界』

ヒラリー・パトナム『心・身体・世界』*1を再読した。パトナムが第二部で主張していることは、ひどくおおざっぱに言えば、身体なき精神(霊魂)という概念は理解できないので、精神なき身体という概念も理解できない、ということだろう。もちろん、前者から…

『現代唯名論の構築』

中山康雄『現代唯名論の構築』*1を読んだ。正直なところ、あまり期待していなかった*2。しかし、実際に読んでみると、すばらしく面白かった。すらすら読めるし。これはいい。じつにいい。ただ、とはいえ、いくつも疑問はある。 時間的切片は線形順序をなすか…

ソドムの客人

リチャード・ドーキンスの『神は妄想である』(日本語訳349〜350項)で、ロトがソドムから脱出する直前の経緯において、娘二人を暴徒に差し出そうとした物語が取り上げられる。ドーキンスは、この物語(神話)のこの部分について「この奇妙な物語がほかにど…

なぜ、フィクションに基いて語れるのか?

なぜ、僕たちがフィクションに基いて語れるのかが、さっぱり分からない。可能世界論を真に受ければ説明がつくだろうが、しかし、そもそも、可能世界に基いて語れるということ自体が、フィクションに基いて語れるということを前提にしているようにも思える。…

自然科学はなぜ成功したのか?

私たちの住んでいる世界が、たまたま、そういう世界だったから*1。例えば、僕たちが住んでいる世界が神様が天地創造して、動物や人間も一瞬にして創造した世界だったのであれば、自然科学の成功はもっと限定されたものだっただろう。しかし、僕たちの住んで…

クオリア

まず、クオリアによる説明は、「カルテジアン劇場」的な構図、つまり僕の頭の中ないしは心の中にクオリアが存在して、そしてそのクオリアを観察しているという構図で理解しては、何の魅力もない。その頭の中のクオリアを観察しているのは、いったい誰なのか…

クオリアと感じ方

クオリアを持ち出さなくては説明できないような問題というのは存在しないように思う。クオリアが持ち出される問題は、クオリアが担っている説明力を選言的説明と、対象の'''感じ方'''に移し変えることによって、同様に説明することが可能だろう。 私が黒鉛を…

「ママに見つかっても安心なエロ本」

「ママに見つかっても安心なエロ本」をそろそろ真剣に検討すべきところに来ているのではないだろうか。なんか特殊なめがねをかければ見るとか、目の焦点をずらせば見えるとか、そういうのではなく、正面突破で。「ママ! 今日、僕のベットの下の箱の中身を捨…

デイヴィドソン

あ、ふと、デイヴィドソンの考えの基本ラインが理解できたような気がする*1。デイヴィドソンは、「意味の真理条件説と意味の全体論からは、『僕たちの発話は、たいていの場合、文字通り真である』ということが帰結する」ということを言っているのだろう。で…

おかしな夢をみた

昨夜みた夢の内容: 日本の山間の過疎地で ヤクザが プール中心の巨大レジャー施設の利権をめぐって ハリー・ポッターと戦う。 若頭は、裏切ってハリー側につく。 題するならば、『ハリー・ポッターと若頭』。組長は、このレジャー施設が、建設で一時的に潤…

夏のあらし! プレイバックPART1

アニメ『夏のあらし!』第13話「プレイバックPART1」が分かりにくかったので、少し整理。 まず、皿には、一が作った「キューティーチェリーちゃん」があった。 次に、タイムリープしてきた一が「キューティーチェリーちゃん」を回収して、5.から持ってきたさ…

グリーンダム

中国でパソコンの検閲ソフトをプリインストールすることが義務付けられるようです。中国人民は、この措置に対し、そのソフトの擬人化に成功した模様。 「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む : 取り付け義務化のPC検閲ソフトを萌えキャラ化する中国オタク …

道徳の実在性

実在論の基準は二つあるといってよいだろう: 命題の真偽に認識超越的に決まる - つまり、「〜が正しいと考える(思う/認識する/感じる)」ということと、「〜が正しい」ということが異なる 認識超越的な存在者がある - つまり、「〜が存在すると考える」と…

嘘をつくことは道徳的に悪いことか?

初期仏教典は、嘘をつくことを強く戒めている。ただ、その根拠は示されていないか、示されているとすれば「めぐりめぐって自分の身を滅ぼす」というのが中心のように思える。もし後者であるとすれば、それは、利己的な、そして、ときには説得力に欠ける根拠…

ドゥウォーキン『法の帝国』

読み直した。ほとんどの部分を誤解していたというわけではないと思うが、僕がドゥウォーキンに賛成できないように感じていたほとんど部分を、彼は先回りして論駁を加えていた。 さて、ドゥウォーキンのいう原理と政策の違いが分かりにくい(『権利論』などを…

直接実在論(追記)

例えば、ある人が財布をベッドの下に落として、箒の柄でその財布を突いてベッドの反対側に弾き飛ばすとする。ここで、「その人が動かしているのは『ほんとうは』箒の柄なのであって、財布ではない」とか、「いや、『ほんとうに』財布を動かしているのだ」と…

直接実在論

直接実在論(ないしは、「自然な実在論」)というが、どちらかといえば、存在論というよりも認識論の一説。僕なりに定式化すると、「あらゆる種類の感覚に対して『認識における同一性判定と存在における同一性判定が必然的に一致する』領域があるなどという…

主観的・客観的

「主観的」と「客観的」という言葉は、多義的すぎて使いにくい。とりあえず、思いつく限り: 「心理的」と「非心理的」*1 「属人的」と「非属人的」*2 「真理値が定まらない(あるいは規約の問題)」と「真理値が定まる」 「意見が収束しない」と「意見が収…

宗教について評価している面

何かやたらと宗教を叩いているかのような、というか、実際に叩いている文章が続いたので、僕が宗教を肯定的に評価している面もある、ということも書こうと思う。ただし、僕は「宗教」という枠組みそのもの、全てあるいはほとんど全ての宗教に共通しているも…

動物愛護と優生学

ナチスの動物愛護政策には、たまに注目があつまる。すでにこういう分析があったように思うが、ナチスの「博愛的な」動物愛護政策と「残虐な」優生学的なホロコースト正当化は、べつに矛盾するものではなく、ある見方からは*1、どちらかといえば一貫したもの…

グールド『神と科学は共存できるか?』*1についての覚書

グールドが、結局、NOMAが広く受け入れられている見解だとしているのかどうか、よく分からない。グールドの言っていることは、「科学・宗教それぞれの指導的な立場の人々に広く受け入れられている見解」ということだと思うが(これ自体も疑問だが*1)、それ…

「科学は道徳に干渉しようとするべきではないのか」の一部再論

道徳的判断(あるいは道徳的推論、道徳的議論)をいうものが、弱い意味でよいから「合理的」なんだとしましょう。例えば、Aさんは「基本的には、嘘をつくよりは、つかないほうが良い」という道徳観を持っていて、それなのに、誰の利害にも関わらない場面で、…

道徳の外在主義

安藤馨『統治と公理』*1を読み直す(いま途中)。読み返しての最大の疑問点は、道徳の外在主義的実在論なんて、説得力があるのだろうか、というものだ。 内在主義の実在論者は、道徳的信念と行為との間に何らかの内的連関が存在するという考え−すなわち、道…

「認知的価値」について・道徳についての合理的議論の可能性について

米国の哲学者ヒラリー・パトナムは、道徳的な議論の合理性についての擁護の文脈で、科学における「認知的価値」について論じる: 古典的プラグマティストであるパース、ジェームズ、デューイ、ミードはすべて、価値と規範性は経験のすべてに浸透していると主…

「大晦日には十円玉は電気を通さない」

「十円玉」は自然科学に完全に還元できる言葉ではないが、「大晦日には十円玉は電気を通さない」という主張が事実であることは、自然科学の知見からみてかなりありそうにない。それとも、「『十円玉』という用語は、法的な意味、経済的な意味、社会学的な意…

抽象化

パトナム『心・身体・世界』を読み返した*1。「唯物論的デカルト主義」をとると、心を物理学にをどう還元するのか分からなくなる。パトナムの記述から離れるが、ここで問題となっている還元とは、次のようなものだ: 私たちが「心」について日常的に考え、表…

科学と宗教

一連の「疑似科学批判・批判」の後始末としても、科学と宗教の関係について、なぜ僕が科学的知見でもって宗教を批判して良いということにこだわるのか、ひとつ書き残していることがある。しかし、これを書こうとすると、どうしても攻撃的、独断的、大雑把に…

正義と善・法と道徳・道徳実在論

気づいてみれば当然のことだが、僕が道徳実在論に固執する理由は、僕が現代リベラリズムの基本的な方針である正義と善の分離、ドゥウォーキンのような法と道徳の分離などに懐疑的であることとつながっている。正義と善の分離、または法と道徳の分離を、何か…