思想っぽいメモ

ポルノ反対論・擁護論

ポルノ反対論、擁護論について勉強してみようと、書籍をいくつか読んだ。 ポルノ反対論・規制論 ポルノグラフィ 「平等権」と「表現の自由」の間で - 反ポルノ運動で影響力がある法学者キャサリン・マッキノンの著作。(1)製作過程での性暴力、(2)性暴力の誘…

脳の不可逆的機能停止について

いろいろ考えがまとまらないところがあるけど、僕はいまのところ次のように考えている。まず、「脳死」という問題がどういう問題かについて。問題のひとつの原因は、人の死という概念が曖昧なことにある。もしかしたら、すべての概念、少なくとも「抽象的な…

実在・道徳

今日、一日、次のような考え方を考えてみていた:まず、手で変形させられる、叩けば音がするなどなどといったことの他に、それとは別に、「実在する」といった性質、状態、あるいはその他の何かがあるわけではない。こういったからといって、日常的な五感で…

親鸞のダークサイド

僕は死後の魂を信じていないし、西方浄土も、阿弥陀仏の本願も信じていない。なので、親鸞の教説に従いはしない。しかし、それでも、日本人で最大の思想家は誰かといわれれば、僕の知る限りは親鸞だと答えるし、無人島に持っていく本はと聞かれれば、そのナ…

実在

リチャード・ローティが次のような話を紹介していたように思う。しかし、記憶が定かではないこともあって、僕が自由に脚色して、架空の例として書く。ある物理学者が、存在論的相対主義者、反実在論者と論争し、ついにテーブルをドンドン叩きながら、「この…

霊性

『禅入門―カトリック修道女の歩んだ道』*1を読んだ。気になる章からあちらこちらという読み方なので、通読していないけど。カトリックの修道女である著者が、禅の入門的解説と勧誘として、禅の霊性(「東洋的霊性」という言い方もしている)の説明を行ってい…

でかい話

かなり大つかみで、でかい視野からの僕の思想的(?)態度。 超自然的な道徳的因果の否定 - 僕は無神論者だけど、それはどちらかといえば、これのコロラリーにすぎない。「超自然的な道徳的因果の否定」というのはたぶん僕の造語?で、その正確な内容にきち…

宗教について評価している面

何かやたらと宗教を叩いているかのような、というか、実際に叩いている文章が続いたので、僕が宗教を肯定的に評価している面もある、ということも書こうと思う。ただし、僕は「宗教」という枠組みそのもの、全てあるいはほとんど全ての宗教に共通しているも…

グールド『神と科学は共存できるか?』*1についての覚書

グールドが、結局、NOMAが広く受け入れられている見解だとしているのかどうか、よく分からない。グールドの言っていることは、「科学・宗教それぞれの指導的な立場の人々に広く受け入れられている見解」ということだと思うが(これ自体も疑問だが*1)、それ…

「大晦日には十円玉は電気を通さない」

「十円玉」は自然科学に完全に還元できる言葉ではないが、「大晦日には十円玉は電気を通さない」という主張が事実であることは、自然科学の知見からみてかなりありそうにない。それとも、「『十円玉』という用語は、法的な意味、経済的な意味、社会学的な意…

アンドロイドの選挙権

原形質から作られたアンドロイド(それにはこれからまさに取り付けられようとしている言語中枢を除くすべてのものが備えられている)が赤とはどのようなものであるかを知っているかどうか、われわれにはまったくわからないということは、主観性の本性をめぐ…

「社会の道徳慣習を改善していく」プロジェクト

私は、道徳の領域において大事なことは、「社会の道徳慣習を改善していく」という大きなプロジェクトにコミットしていくことではないかと考えています*1。しかし、科学の領域と道徳の領域をはっきりと分けておこうとする動きが強すぎると、そのプロジェクト…

私はどういうふうに科学主義者ではないか

パトナム『事実/価値二分法の崩壊』*1を読み直していると、面白い記述があったので、引用します: 論理実証主義の事実/価値二分法が、「事実」とは何であるかについての偏狭な科学主義的図式に基いて擁護されたのは、この二分法のヒューム的な原型が「観念」…

私はどういうふうに科学主義者か

私は、道徳の議論についても、「その前提は、科学的知見に反する」とか、「科学的知見によれば〜で、それを道徳的に評価すれば〜で…」ということを言っても良いし、宗教的な道徳論については「それが科学とは別の領域のものだから」と保護されるべきではなく…

挑戦的なことを書いてみる(2)

村社会を飛び出して、市民社会に到達していない奴、多すぎ。市民社会だって、慣習・伝統・常識・地位・権威・多数決が重視されるってことは、村社会と変わりない。

挑戦的なことを書いてみる

ポルノが男による女の支配構造を描写しており、そのため、その支配構造の固定化を招いているので規制するというならば、旧約聖書も発禁にしてください。あと、記紀とかも発禁ですね。一部の娯楽だけ目の敵にするのはやめて下さい。娯楽として受容されている…

知的誠実さ

私達は何を知っているか、何を知らないか、何を知りえそうか、何が知りえそうでないか、どの知識が確実そうか、どの知識が不確実そうか、不確実な知識の下でそれでもなおそれが不確実と知りつつ何を決断しなくてはならないか、何は決断しなくてもよいのか、…

仏教

仏教のオリジナリティは「中道」かな。つまり、享楽にふけらぬ生活*1こそが楽しいのだ、という教理。 *1:さりとて、苦行にもふけらぬ生活。

科学と宗教

「科学」を「知の体系」一般として定義すると、「『科学』も新手の宗教である」というのは、例えば「真善美のうち、真の卓越的価値を信じる信仰」ということになるだろう。僕は、知(あるいは真)に極めて重要な価値があると思っている。これは、価値の議論…

非重複教導権とか精神分析とか

非重複教導権とか、精神分析とかについて思うのだが、「予測を与えない説明」なんかに大衆は興味があるのか? 過去と他人の事例の理由だけを与え、自分の未来についても何も語らない説明なんて、いったいどう関心を持てばよいのか?

日本

ドーキンスは、無神論者であることが強烈な偏見と攻撃を受け、無神論者であると告白することが極めて困難な米国の状況を描く。ドーキンスの描写が、誇張されているものかどうか、米国全体のうちどれくらいに当てはまるのか私には分からない。しかし、ある程…

遵法責務

遵法責務については、かなり不勉強なので、適当に思いついたことを書く。遵法責務とは、道徳的義務の一つだといわれる。そこでいう「道徳的義務」というのは、いったいどういうことだろうか? 道徳慣習上の義務のことなのだろうか? しかし、そもそも人は道…

聖書解釈

ドーキンス『神は妄想である』の中で、ひとつ、穏健で伝統的なキリスト教徒が使えそうな反論を思いついた(ドーキンスは原理主義者を中心的な攻撃対象においているので、その意味では関係が薄いが)。これは、比較的、プロテスタントよりも、カトリックのほう…

ドーキンス『神は妄想である』

僕は、ある種の唯物論に傾いているから、「神は存在しない」ということは同意できる。また、有神論者でなくとも、道徳的でありえることに同意する。しかし、ドーキンス自身も先回りして書いているが、「なぜ、そこまで執拗に宗教を攻撃するのか?」というこ…

ヨーロッパの伝統

たぶん、どこかで書いたことだが、西洋哲学のある伝統、言語と理性を根拠に人間と動物の圧倒的な非連続性を強調するという伝統だけは、僕には不思議なものに見える。もし犬がしゃべられるとすればこう言うだろう、という想像を行うことは、その前件が事実に…

キリスト教

最初期のキリスト教徒*1が、「賢さ」を道徳的性質の一つに数え上げなかったことは、当然かもしれない。ニーチェの議論も興味深いが、たぶんそれとは違った意味で、彼らが知的卓越性を道徳的性質に数え挙げなかったことには、彼らなりの理由があるように思う…

「大きな物語」

いわゆる「ポストモダン」を評して、「大きな物語の終焉」ということが言われる。「大きな物語の終焉」という表現には、ある世代のフランスの知識人にとっては、たんに抽象的な意味合いではなく、特定の二つの代表例への示唆が含まれているように思う。キリ…

道徳について

はじめに 中学生・高校生くらいを対象に想定して、今から、道徳についての話を書いてみようと思います。 ただし、これは「何々は道徳的に善い」「何々は道徳的に善い」という断定とか、命令とか、あるいは提案をするのが目的ではありません。そうではなくて…

法解釈

法解釈とは何か?それは、(1)法文の日本語として可能なある解釈を示し、(2)その解釈に従うべき理由を与えるものだ。法学者や裁判官が法解釈論を考えるとき、必ずこの二つのステップにこの順序で従っているというわけではない。また、法解釈を示すときでさえ…

『法の帝国』ダイジェスト

ドゥウォーキンは『法の帝国』しか読んでいないし、その内容もかなり忘れてしまったが、『法の帝国』の議論は、大体、つぎのようなものだったと思う。 「法とは何か?」という問いに対して、明確に外延を定めるような、単純な定義はありえない。なぜなら、こ…