哲学

臓器移植問題

基本的な説明 倫理学で盛んに取り上げられる思考実験の一つに、次のようなものがある。まず、二つの事例: A. もうすぐ死にそうな1人と同様の5人のどちらかを治療することが選べる*1。5人を治療すれば、治療されなかった1人は死ぬが、5人は死の危険を回避する…

『自由と行為の哲学』

自由と行為の哲学 (現代哲学への招待Anthology)作者: P.F.ストローソン,ピーター・ヴァンインワーゲン,ドナルドデイヴィドソン,マイケルブラットマン,G.E.M.アンスコム,ハリー・G.フランクファート,門脇俊介,野矢茂樹,P.F. Strawson,G.E.M. Anscombe,Harry G…

 ダメット『思想と実在』

マイケル・ダメット『思想と実在』*1を読んだ。 実在論者は、任意の言明についてその意義をわれわれが把握することは、その言明が真であるということがいかなることであるかの知識に存すると信じている。正当化主義者にとって、言明の意義の把握は、それがい…

デイヴィドソン

『真理と述定』では、デイヴィドソンの「真理論」という議論・論争についての考え方が披瀝されている。デイヴィドソンは真理を定義したい、あるいは定義的な分析を提供したいとは考えていない。デイヴィドソンにとっては、真理は、すでに明確な概念なのだ。…

『倫理学の地図』

倫理学の教科書*1。全体にクセがなく*2、読みやすい。論点も網羅性もかなり高いように思う。 *1:倫理学の地図作者: 篠澤和久,馬渕浩二出版社/メーカー: ナカニシヤ出版発売日: 2010/03/29メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 24回この商品を含むブログ (6件…

ドゥウォーキン『裁判の正義』

ロナルド・ドゥウォーキン『裁判の正義』*1を読み終わった。二点、疑問がある …ただ、どちらもその内容をはっきり特定しつつ考えたわけではないので、かなり曖昧: 類比 正確な場所を見つけられないが、どこかで「原理なき類比は盲目である」という言葉を引き…

デイヴィドソン『真理と述定』

ドナルド・デイヴィドソン『真理と述定』*1。書籍の帯には「デイヴィドソンの真理論の応用」と書かれているけど、7章中で3章までは、少なくとも僕にとっては今までで一番分かりやすいデイヴィドソン哲学の全体像の解説だった(それでも、難しくて、十分に理解…

『裁判の正義』

ロナルド・ドゥウォーキン『裁判の正義』*1を読んでいる途中。今まで読んだ範囲では、米国大統領選挙における得票のカウントに関するブッシュ対ゴア事件裁判をネタに法的プラグマティズムを批判する3章の補論が、非常に面白く、かつかなり説得的だと思える。…

『科学と価値』

ラリー・ラウダン『科学と価値―相対主義と実在論を論駁する』 *1を読んだ。科学理論といわゆる科学的方法、そして科学の目的(価値)との相関関係を論じている。訳者解説がノリノリで面白いので、一見の価値あり。ラウダンは、科学の理論と方法が科学の目的を…

逆転スペクトル人

ヒラリー・パトナム『心・身体・世界』で、逆転スペクトル人*1が現実的には不可能だということにこだわっているのが理解できなかった(例えば、247項)。この点について、ふと、少し理解できたように思う。たぶん、これはクオリア説というか、ヒュームやラッセ…

クーンの「パラダイム」とクワインの全体論

この雑記の記事は、しばしば、あるいは常にそうだけど、記憶に頼って必ずしも正確に理解している自信のないことを書くので、あまり信用しないこと。 さて、クーンのパラダイム論は、二つの異なるパラダイムの間では通約不能あるいは比較不能であるとする。こ…

ディヴィドソン

何度読み返しても十分に分かった気がしない、ディヴィドソン。また、ひとつ、こう理解してはどうだろうか、というのが思いついた。まず、直示の意味論、存在論、真理論というのを考える。つまり、語の意味の原型とは、「○○とは、それのこと」と指差して教え…

『現代唯名論の構築』

10月20日のエントリ「『現代唯名論の構築』」の一部書き直し。 数学的な語りはどこに? 中山康雄『現代唯名論の構築』で疑問に思ったことのひとつが、応用が見出されていないような数学分野の理論はどうなるのだろう? ということだ*1。例えば、直感的には奇…

『心・身体・世界』

ヒラリー・パトナム『心・身体・世界』*1を再読した。パトナムが第二部で主張していることは、ひどくおおざっぱに言えば、身体なき精神(霊魂)という概念は理解できないので、精神なき身体という概念も理解できない、ということだろう。もちろん、前者から…

『現代唯名論の構築』

中山康雄『現代唯名論の構築』*1を読んだ。正直なところ、あまり期待していなかった*2。しかし、実際に読んでみると、すばらしく面白かった。すらすら読めるし。これはいい。じつにいい。ただ、とはいえ、いくつも疑問はある。 時間的切片は線形順序をなすか…

デイヴィドソン

あ、ふと、デイヴィドソンの考えの基本ラインが理解できたような気がする*1。デイヴィドソンは、「意味の真理条件説と意味の全体論からは、『僕たちの発話は、たいていの場合、文字通り真である』ということが帰結する」ということを言っているのだろう。で…

ドゥウォーキン『法の帝国』

読み直した。ほとんどの部分を誤解していたというわけではないと思うが、僕がドゥウォーキンに賛成できないように感じていたほとんど部分を、彼は先回りして論駁を加えていた。 さて、ドゥウォーキンのいう原理と政策の違いが分かりにくい(『権利論』などを…

直接実在論(追記)

例えば、ある人が財布をベッドの下に落として、箒の柄でその財布を突いてベッドの反対側に弾き飛ばすとする。ここで、「その人が動かしているのは『ほんとうは』箒の柄なのであって、財布ではない」とか、「いや、『ほんとうに』財布を動かしているのだ」と…

直接実在論

直接実在論(ないしは、「自然な実在論」)というが、どちらかといえば、存在論というよりも認識論の一説。僕なりに定式化すると、「あらゆる種類の感覚に対して『認識における同一性判定と存在における同一性判定が必然的に一致する』領域があるなどという…

二ーチェの超人

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2688402.html『ツァラトゥストラ』の内容はもうよく覚えていないけど、これによれば、超人とは「価値創造者」とでもいうことになるだろうか。『魁!!男塾』の江田島平八が、その超人の具体例か。

真理

真理の対応説は、私のある信念が真であるとは、その信念が事実と何らかの「対応」を持っているということであるとする説だが、その「対応」が存在するべきところが私の信念全体の外側であって、そのような「対応」を私たちは決して知り得ない、という点に弱…

信念と信念の記述

デイヴィドソンの『主観的、間主観的、客観的』を読み直している。彼が言っているのは、次のようなことではないか。まず、信念と信念の記述を区別する必要がある。信念とは、ある存在者の種というよりも、ある存在者の性質の種である。そして、ある一つの信…

ヴィトゲンシュタインの私的言語批判

ヴィトゲンシュタインの私的言語批判について、うろ覚えで書く。ヴィトゲンシュタインが、痛みの印をつけたカレンダーの喩えで問いかけたことは、今日的な表現で言えば、「クオリアに公共的な命名をすることが可能だろうか?」ということではないだろうか。…

直観主義の数学

オリジナルの直観主義とは、ある論理観ではなく、ある数学観である。そして、今となっては、それは「構成的数学観」と呼ぶほうが分かりやすい。この「構成的数学観」において、ある数学的命題の証明とは、ある構成方法のことである。例えば、全ての自然数に…

デイヴィドソン

デイヴィドソンの思想・理論、あるいは彼の「実在論」が、分かったような気がする。現代英米哲学で、「実在論」という言葉は、奇妙な、一見は関係なさそうな二つの意味で使われているように思う: 素朴な、あるいは直感的ないみで、ある種の存在者が「実在」…

分析哲学

分析哲学の内容は多様だが、存在論であろうと、メタ倫理学であろうと、数学の哲学であろうと、自然言語の意味論を自然主義的に*1構築するという大きなプロジェクトとの関わりを意識しないと意味が分からなくなる。それは、自然言語の意味論を自然主義的に構…

自然な実在論

パトナムの自然な実在論とは、「私に見えている世界」と「ほんとうにある世界」を区別する必要がない、というよりも、とくに理由がないのであれば区別する必要がない、という立場ではないかと思う(というか、そうだとすれば、理解できる)。中庭に横倒しに…

意味の外在説

パトナムの意味の外在説が良く理解できている自信はないが、どうも、ある意味ではフレーゲやヴィドゲンシュタインより後退しているのではないかと思う*1。フレーゲやヴィドゲンシュタイン*2の議論にしたがえば、文の意味は端的に外在的である。フレーゲによ…

概念枠・相対主義

僕たちは、僕たち自身が・・・ あるいは僕は、僕自身がとらわれていてその外に出ることもできず、自覚することも、認識することもできないような超越的な概念枠を、自覚することも、認識することもできないから(トートロジー)、そのような超越的な概念枠につ…

充足

デイヴィドソンが「充足」にこだわる理由が、たぶん分かった。デイヴィドソンは、ふつう固有名詞と考えられているものを変数とみ、自然言語の文を開いた論理式とみているんだ。