法学

ドゥウォーキン『法の帝国』

読み直した。ほとんどの部分を誤解していたというわけではないと思うが、僕がドゥウォーキンに賛成できないように感じていたほとんど部分を、彼は先回りして論駁を加えていた。 さて、ドゥウォーキンのいう原理と政策の違いが分かりにくい(『権利論』などを…

違法性と責任

故意が「違法性」の要素か、「責任」の要素かというのが、刑法解釈学上の根本的な問題として争われている(結果無価値論、行為無価値論)。しかし、そもそも「違法性」とは何であり、「責任」とは何であるかということにゆるぎない通説というものがないよう…

ドゥウォーキン批判

ドゥウォーキンの『法の帝国』について、三点、批判する。ただし、勢いで書いているので、『法の帝国』の内容を再確認はしていない。 原理の競合 二つの原理が競合し、競合する原理Aと原理Bを双方とも尊重した結論として、矛盾する二つの結論がでるというこ…

履行利益と信頼利益

民法の(日本では)講学上の概念として、履行利益(ある契約が有効だったときに得られたはずの利益=逃した利益)と信頼利益(ある契約が有効だと信じたことによる損害=マイナスの利益)というものがあるが、これがよく分からなかった。基本書には、しばしば…

ドゥウォーキン

『法の帝国』を読みなおさないとよく分からないな、と思いつつ… 「唯一の正しい答え」テーゼについて 「唯一の正しい答え」テーゼは、結局のところ、 法の解釈は合理的になしえる 法の解釈において援用できる合理性、根拠には限界がない(形式論理的な意味で…

ドゥウォーキン『法の帝国』

法哲学者ドナルド・ドゥウォーキンの議論に、若干の疑問がある: (ドゥウォーキンの議論において)法と正義の関係はどうなっているのか? (ドゥウォーキンの議論において)正義に「唯一の正しい答え」はないのか? この二つの問題についてドゥウォーキンは…

法律論の論理

民事訴訟法学に、「事実の証明があったというのは、何パーセントくらいか」という議論がある。例えば、Aが「Bさんに殴られました。かつ、怪我しました。治療費払わせてください」という訴えを起こした場合に、「Bさんに殴られました」という事実が民事訴訟法…

刑法体系

昨日書いたように、僕自身は、行為無価値論の支持者だ。ただ、行為無価値論だろうと、法益保護の保護を刑法の目的とし、法益の選択・重みづけにおいてリベラルな価値を尊重し、また「社会的相当性」の一言で「ナタで牛を切るような」議論だけで終わりとせず…

行為無価値論と偶然防衛・偶然避難

偶然防衛・偶然避難において、無罪の結論をとることは行為無価値論においても可能なのではないかと思う。 というのは、法規範というものは、個々の具体的状況において、規範を基礎付ける事実の評価として、現れるものだと考えるからだ。例えば、次のような状…

結果無価値論の「過失」

よく考えてみれば、結果無価値論の過失概念の中心にある予見可能性は、心理の内容ではないのではないかと思う。まず、予見可能性は意識の内容ではない。何か結果の予見可能性を意識しているのならば、それはまさに予見そのものだ。だから、意識の内容として…

行為無価値論と結果無価値論

僕は、結果無価値論の体系にしたがっても、未遂論において行為者の心理内容を検討しなければ「危険」を認定できないだろう、過失の認定において現実には行為無価値論の相当因果関係の折衷説と同じものを評価しているのだろうと思うが、結果無価値論の言い回…

結果無価値説

つぎのような事例を考えてみる。 あるヤクザ組織で、Aが組織の金を持ち逃げした。幹部構成員BはAを探し出し、事務所に拉致し尋問たが、Aは「その金をすでに使い込んだ後であり、返せる見込みは全くない」と答えた。これを聞いたBは激怒し、拳銃を持ち出してA…

刑事責任年齢と選挙権を有する年齢

刑事責任年齢と選挙権を有する年齢(憲法上の「成年者」)が一致していないっていうのは,僕は直感的にものすごく変なこと,肯定するなら何か強い正当化理由を要することだと感じる。 「刑事上の責任能力の問題と,政治的な判断能力の問題は別だ」といえば,確…

法解釈学と科学

「法科大学院勉強日記 法解釈学が嫌い 」を読んで,自分と同じような人がいるもんだと思った。とりあえず,「法解釈学が科学的ではない」ということに関して,現時点で考えていること。 法解釈学が科学であるかは,「科学」の定義による。しかし,いずれにせ…

DV殺人に無期懲役判決

徳島地裁からDV防止法に基づく保護命令を受け,妻と三人の子どもへの接近を禁止されていた夫(被告人)が,命令に違反して妻に接触し,殺害したとして殺人,DV防止法*1違反の罪に問われた事件で,被告人に無期懲役の判決が下された。この判決自体について異論…

存在しないものへの志向性と民法理論

「存在しないものへの志向性はありえない」というテーゼが,西洋哲学のなかで,いろいろな形で変奏されて現れてきているように思う。そしてまた,民法570条に関する「特定物ドグマ」も,この伝統 -おそらくはいくらか擁護可能であり,西洋哲学・思想において…

意味の指示説と刑法理論

意味の指示説の困難と,刑法の「具体的客体の錯誤」の議論における具体的符合説の困難には関係があるように思われる。