2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『現代唯名論の構築』

10月20日のエントリ「『現代唯名論の構築』」の一部書き直し。 数学的な語りはどこに? 中山康雄『現代唯名論の構築』で疑問に思ったことのひとつが、応用が見出されていないような数学分野の理論はどうなるのだろう? ということだ*1。例えば、直感的には奇…

でかい話

かなり大つかみで、でかい視野からの僕の思想的(?)態度。 超自然的な道徳的因果の否定 - 僕は無神論者だけど、それはどちらかといえば、これのコロラリーにすぎない。「超自然的な道徳的因果の否定」というのはたぶん僕の造語?で、その正確な内容にきち…

『昴』と『ピアノの森』

なぜか立て続けに芸術マンガを二つ、既刊全巻(たぶん)読んだ。バレエまんが『昴』とクラシック・ピアノまんが『ピアノの森』。『昴』はすごく面白いのだけど… 第一期?の最終巻(11巻)は、正直、引いた。もはや、芸術の天才を描くマンガとしては破綻して…

志向性

言語における指示、つまり、ある発話のある単語が何かを指示するということは、言語の使用の一種なのであって、他のさまざまな言語によるコミュニケーション、命令、懇願、求愛、挑発、侮辱と同じように失敗したり、成功したりする、という考え方は理解でき…

美的性質について・芸術の進歩について

アニメやマンガが大好きで、クラシック音楽やバレエや絵画のような「正統な」アートにあまり興味のない僕が「美」について語るなんてかなり抵抗があるんだが、二つのメモ。まず、僕はいまのところ「美」そのものはともかく、美的性質、つまり、かわいいとか…

精神の物理現象への還元可能性

何を言いたいのか分からないけど、そのまま。中山『現代唯名論の構築』も、パトナム『心・身体・世界』も、精神(心)の物理学の言語への還元可能性を、あっさりと必要のないものだと退ける。僕はジェグウォン・キムの著作をちゃんと読んでいないので公正で…

『心・身体・世界』

ヒラリー・パトナム『心・身体・世界』*1を再読した。パトナムが第二部で主張していることは、ひどくおおざっぱに言えば、身体なき精神(霊魂)という概念は理解できないので、精神なき身体という概念も理解できない、ということだろう。もちろん、前者から…

『現代唯名論の構築』

中山康雄『現代唯名論の構築』*1を読んだ。正直なところ、あまり期待していなかった*2。しかし、実際に読んでみると、すばらしく面白かった。すらすら読めるし。これはいい。じつにいい。ただ、とはいえ、いくつも疑問はある。 時間的切片は線形順序をなすか…

ソドムの客人

リチャード・ドーキンスの『神は妄想である』(日本語訳349〜350項)で、ロトがソドムから脱出する直前の経緯において、娘二人を暴徒に差し出そうとした物語が取り上げられる。ドーキンスは、この物語(神話)のこの部分について「この奇妙な物語がほかにど…

なぜ、フィクションに基いて語れるのか?

なぜ、僕たちがフィクションに基いて語れるのかが、さっぱり分からない。可能世界論を真に受ければ説明がつくだろうが、しかし、そもそも、可能世界に基いて語れるということ自体が、フィクションに基いて語れるということを前提にしているようにも思える。…

自然科学はなぜ成功したのか?

私たちの住んでいる世界が、たまたま、そういう世界だったから*1。例えば、僕たちが住んでいる世界が神様が天地創造して、動物や人間も一瞬にして創造した世界だったのであれば、自然科学の成功はもっと限定されたものだっただろう。しかし、僕たちの住んで…

クオリア

まず、クオリアによる説明は、「カルテジアン劇場」的な構図、つまり僕の頭の中ないしは心の中にクオリアが存在して、そしてそのクオリアを観察しているという構図で理解しては、何の魅力もない。その頭の中のクオリアを観察しているのは、いったい誰なのか…

クオリアと感じ方

クオリアを持ち出さなくては説明できないような問題というのは存在しないように思う。クオリアが持ち出される問題は、クオリアが担っている説明力を選言的説明と、対象の'''感じ方'''に移し変えることによって、同様に説明することが可能だろう。 私が黒鉛を…