デイヴィドソン
あ、ふと、デイヴィドソンの考えの基本ラインが理解できたような気がする*1。デイヴィドソンは、「意味の真理条件説と意味の全体論からは、『僕たちの発話は、たいていの場合、文字通り真である』ということが帰結する」ということを言っているのだろう。
でも、これには、「僕たちの発話のいくらかが有意味なのであれば」という条件がつくはずだ。そうすると問題は、僕たちのいくらかは発話は有意味なのか? むしろ僕たちの発話は絶望的に無意味なのではないか*2? ということが問題になる。デイヴィドソンは、この疑問に答えようとしてはいないように思える*3。発話が絶望的に無意味なものばかりであるならば、それはもう言語ではないので、言語、あるいは言語的コミュニケーションを考察の対象としているデイヴィドソンから見ればどうでも良いことなのかもしれない。
というわけで、さっきのテーゼをもう少しブラッシュ・アップすると、「僕たちが言語的コミュニケーションを行っているのだとすれば、僕たちの発話はたいていの場合に文字通り真である」ということになるだろう。まぁ、それは、そのとおりかもしれない。ロゴスを信じよ!