2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

科学と宗教

一連の「疑似科学批判・批判」の後始末としても、科学と宗教の関係について、なぜ僕が科学的知見でもって宗教を批判して良いということにこだわるのか、ひとつ書き残していることがある。しかし、これを書こうとすると、どうしても攻撃的、独断的、大雑把に…

正義と善・法と道徳・道徳実在論

気づいてみれば当然のことだが、僕が道徳実在論に固執する理由は、僕が現代リベラリズムの基本的な方針である正義と善の分離、ドゥウォーキンのような法と道徳の分離などに懐疑的であることとつながっている。正義と善の分離、または法と道徳の分離を、何か…

道徳の実在論と自由抑圧

道徳の実在論は、必ずしも全体主義や自由抑圧的な政治体制・政策に結びつくわけではない。単純に、人間の自律、市民の自由といった道徳的価値を認めればそれでよいのだ。実際のところ、道徳実在論者で、全体主義や自由抑圧的な政治体制・政策を強く支持して…

自然の斉一性と真理の対応説

自然の斉一性という考えは、真理の対応説を内包しているように思う。仮に、真理を「実証された理論」あるいは「実証的な研究の極限において到達する理論」によって定義するとする。そうすると、宇宙の地平面より向こうの事象については、真も偽もなく、それ…

アンドロイドの選挙権

原形質から作られたアンドロイド(それにはこれからまさに取り付けられようとしている言語中枢を除くすべてのものが備えられている)が赤とはどのようなものであるかを知っているかどうか、われわれにはまったくわからないということは、主観性の本性をめぐ…

デカルト的懐疑

以前のエントリで「価値と事実の領域分割」という言葉を使ったが*1、パトナムの「自然な実在論」やサールの直接実在論の立場、ローティの「自然の鏡」への批判は、いうなれば、主観と客観の領域分割への批判ということができるかもしれない。いま自分は赤の…

「社会の道徳慣習を改善していく」プロジェクト

私は、道徳の領域において大事なことは、「社会の道徳慣習を改善していく」という大きなプロジェクトにコミットしていくことではないかと考えています*1。しかし、科学の領域と道徳の領域をはっきりと分けておこうとする動きが強すぎると、そのプロジェクト…

私はどういうふうに科学主義者ではないか

パトナム『事実/価値二分法の崩壊』*1を読み直していると、面白い記述があったので、引用します: 論理実証主義の事実/価値二分法が、「事実」とは何であるかについての偏狭な科学主義的図式に基いて擁護されたのは、この二分法のヒューム的な原型が「観念」…

私はどういうふうに科学主義者か

私は、道徳の議論についても、「その前提は、科学的知見に反する」とか、「科学的知見によれば〜で、それを道徳的に評価すれば〜で…」ということを言っても良いし、宗教的な道徳論については「それが科学とは別の領域のものだから」と保護されるべきではなく…

科学と道徳について

僕は、道徳的判断と道徳慣習は、自然のあり方の認識と密接不可分だと思っている。それをもし「科学の領分を侵犯している」というのであれば、現実に、侵犯している。そして、それで良いと、僕は思っている*1。逆に、自然のあり方の認識を含んでいない道徳と…

科学は道徳に干渉しようとするべきではないのか

はじめに 端的に言って、私は「科学は道徳に干渉しようとするべきではない」というような考え方に否定的で、これに固執するべきではないと考えています。「疑似科学批判・批判」の一連のエントリについて、田部勝也さんからいただいた批判の一部は、この考え…

真理について

さっき、ふと、デイヴィドソンの真理観の一面が理解できたような気がする。そして、その真理観は説得力があるように思う。たしかに、僕は、僕自身の信念体系の外側に出ることができないから、僕の信念と事実との一致を確認することはできない。このデカルト…

疑似科学批判・批判について

「擬似科学批判」への一連のエントリが、ニセ科学批判に対する非難を、十分な配慮なく書いたものであったことを、ニセ科学批判をされている方々に、お詫びいたします。 「セクショナリズム」という言葉(再) レッテルの帰属を争っているとしてそれを「セク…

疑似科学批判・批判について

まず、「擬似科学批判」への一連のエントリが、疑似科学批判ないしはニセ科学批判に対する非難を、十分な配慮なく書いたものであったことをお詫びいたします。まことに、申し訳ありませんでした。なお、撤回の意思を明確にすることを重視して、エントリに打…

疑似科学批判・批判の補足(たぶん最後)

次に、すでに書いた点を、もう一度繰り返します。「臆面もなく、科学のみが真理であり、検証可能な事実のみが事実なのであると主張して、宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判」という立場がありえないという意見が、圧倒的多数であることには、いまだに…

疑似科学批判・批判の一部撤回と謝罪

まず、二つ撤回し、それらを含めて三つお詫びします。一つ目。レッテルの帰属を争っているという主張は撤回しませんが、それを「セクショナリズム」と評した、その「セクショナリズム」という表現は撤回します。正直、もちろん揶揄ですから否定的なニュアン…

疑似科学批判・批判の補足(6)・ブクマコメントに

T-3don ニセ科学批判批判, 幸せになればいいのに 恐らく。ニセ科学批判を限定された非科学批判だと勘違いしている、のじゃないかと。実証の価値はニセ科学側も共有していて、だからこそ「装う」んです。つまり、実証の価値を全面に押し出してもニセ科学は撃て…

疑似科学批判・批判の補足(5)・ブクマコメントに

fireflysquid ニセ科学批判批判 結局、「道徳」や「宗教」や「生き方」の問題として我々みんなが引き受けるべき問題について、外部(科学)が自分の代わりに「解答」を出してくれ、と言っているように見える。/「非科学」って、雑駁すぎ。 少なくとも、「解答…

疑似科学批判・批判のまとめっぽい何か

まず、僕が一番初めに書いたエントリは、基本的に次の三点で構成されている: ウェブで見かける疑似科学批判がやっていることは「科学」というレッテルの帰属争いだとして、それはセクショナリズムだと評した。 論理実証主義者に比べて、その志は低いと評し…

疑似科学批判・批判の補足(4)・ブクマコメントに

IshidaTsuyoshi ニセ科学批判批判 それで、科学を装っていないのに疑似科学として批判されてる物は具体的に何ですか? 『水伝』がそれに近いだろうと思いますが、そもそも、私は疑似科学批判が何かを「科学を装っていないのに疑似科学として批判」しているこ…

疑似科学批判・批判の補足

こういう状況を想像してみてください。 ある疑似科学的な主張が社会に流布し、信じこむ人がいて、効果のない医療方針によって疾病を悪化させる人が大勢でたとか、何か不都合なことが起きた。科学者が「疑似科学だ」と批判したところ、その主張者は「私たちは…

疑似科学批判・批判

僕は、ウェブで見かける疑似科学批判に、不満を持つことが多い。一言でいえば、「科学」というレッテルの帰属を争うだけでは、たんなるセクショナリズムに過ぎない、という不満だ。少なくとも論理実証主義者は、科学と非科学のセクショナリズムセクト主義の…

士郎正宗

士郎正宗は、業の深い人だな、と思う。彼は、人間とAIはどう違うのかと問いを立て、人間には魂(ゴースト)があるからAIとは違うという考えに魅力を感じつつ、というかそれが彼の実感なのだろうが、しかしそれは科学的ではないという考えも持っており、葛藤…

二ーチェの超人

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2688402.html『ツァラトゥストラ』の内容はもうよく覚えていないけど、これによれば、超人とは「価値創造者」とでもいうことになるだろうか。『魁!!男塾』の江田島平八が、その超人の具体例か。

真理

真理の対応説は、私のある信念が真であるとは、その信念が事実と何らかの「対応」を持っているということであるとする説だが、その「対応」が存在するべきところが私の信念全体の外側であって、そのような「対応」を私たちは決して知り得ない、という点に弱…

疑似科学批判・批判の補足(3)

なんか、誤解があるかもしれないので、はっきりと書いておきますが、私はべつに疑似科学批判に価値がないとか、やめろとかは書いていません。科学を支持し、疑似科学を批判する側には、たんに方法論、「科学の作法」以上の科学へのコミットメントがあるはず…

疑似科学批判・批判の補足(2)・ブクマコメントに

k-takahashi ニセ科学, 科学 『宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判をいちど読んでみたいなぁ』 それがあったとしたら、むしろニセ(疑似)科学。自然科学が相手にするのは「自然」。自然だけで、むちゃくちゃに強大で強力なのですよ。 なぜ、自然を探求…

陰謀論

古い神話・伝承では、魔法のたぐいの話は尽きないが、多くの宗教ではむやみやたらと魔法の類を使うことを禁じている。古い神話・伝承で強力な魔法を操る登場人物がおうおうにして異国人だったり、辺境の人間だったりすることからすれば、やはり古代から中世…