2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

仏教

仏教のオリジナリティは「中道」かな。つまり、享楽にふけらぬ生活*1こそが楽しいのだ、という教理。 *1:さりとて、苦行にもふけらぬ生活。

思想の歴史

カントの有名な言葉に、「それを思い巡らせるたびに、新たにますます驚嘆と畏敬の念を呼び起こすものが二つある。私の上にある星空と、私の内にある道徳律と」というものがある(大意)。僕が思い巡らせるたびに畏敬の念を呼び起こされるのは、人類の思想の…

プログラミング言語に関する妄想

その一 Haskellに依存型があれば、カッコいい。 その二 また、アドホックな多相型? があれば便利だと思う(型を集合とすると、集合の直和ではなく、集合の合併に相当する)。 (A | B)をA型でもB型でもよいアドホックな多相型だとすると、 f a = if a then 1…

実在

たぶん、今まで哲学上主張された実在は、四つに分けることができる。 実念的実在 - プラトンの「イデア」、上座部の「ダルマ」。論理学でいう「述語」にあたるものを実在として扱う。「三角形」「変化」「美」といった実在。 本質存在 - アリストテレスの「…

科学と宗教

「科学」を「知の体系」一般として定義すると、「『科学』も新手の宗教である」というのは、例えば「真善美のうち、真の卓越的価値を信じる信仰」ということになるだろう。僕は、知(あるいは真)に極めて重要な価値があると思っている。これは、価値の議論…

プログラミング言語

昨日、今日と「オレ的にカッコいいプログラミング言語」の妄想が止まらない。こういうのあったらすげーんじゃねぇかと思いついたら、ほとんどLISPになってたり。

概念枠・相対主義

僕たちは、僕たち自身が・・・ あるいは僕は、僕自身がとらわれていてその外に出ることもできず、自覚することも、認識することもできないような超越的な概念枠を、自覚することも、認識することもできないから(トートロジー)、そのような超越的な概念枠につ…

記憶の改変

認知的不協和の話で、思い出した。たぶん認知的不協和の一種だと思うのだが、僕たちは自分に都合が悪いことは、記憶を書き換えるらしい。恐ろしいことだ。僕があのときにこうした、それはこうだからだ、と考えるとき、その全てが事実ではない妄想かもしれな…

充足

デイヴィドソンが「充足」にこだわる理由が、たぶん分かった。デイヴィドソンは、ふつう固有名詞と考えられているものを変数とみ、自然言語の文を開いた論理式とみているんだ。

ディズニーランドで

例えば、ディズニーランドで子どもがくまのプーさんのぬいぐるみに「猫だ」といって抱きついたとしよう。あなたがこの子どもの間違いを正すとしたらなんというだろうか?「いや、それはクマだよ」 しかし、くまのプーさんは本当にクマなのか? 哺乳綱ネコ目…

Emacs

ひさびさにEmacsに触ったら、スゲー気持ちよかった。勃起するかと思った。

しっぺ返し戦略

フォーク定理 - Wikipedia反復囚人のジレンマ・ゲームではしっぺ返し戦略が均衡解、最も優れた戦略となるから、利己主義者はしっぺ返し戦略、つまり応報主義者となる、といった理解がされているように思う。 しかし、よく考えてみたら、こういった反復囚人の…

政商

「政商」とは、「政(まつりごと)を商(あきな)う」連中だ。ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』*1によれば、政を商うことだけは許されない。それだけは、排除しなくてはならない。 ビジネスは、オープンな取引と交渉によって、自己利益の最…

すっぱいブドウ

選ばなかった方のチョコは「すっぱい葡萄」である - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~ モンティ・ホール問題と認知的不協和(前回の続き) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~僕は心理学徒でもなんでもないけど面白いエントリだと思ったのでコメン…

助動詞とアリストテレス

僕は、少なくとも「助動詞」に関しては、英語より日本語のほうが発達していると思う。「〜〜であろう」「〜〜であるべき」というのはもちろん、「〜〜と思う」「〜〜と考える」「〜〜である可能性がある」「〜〜である可能性はある」「〜〜である可能性もあ…

非重複教導権とか精神分析とか

非重複教導権とか、精神分析とかについて思うのだが、「予測を与えない説明」なんかに大衆は興味があるのか? 過去と他人の事例の理由だけを与え、自分の未来についても何も語らない説明なんて、いったいどう関心を持てばよいのか?

法律論の論理

民事訴訟法学に、「事実の証明があったというのは、何パーセントくらいか」という議論がある。例えば、Aが「Bさんに殴られました。かつ、怪我しました。治療費払わせてください」という訴えを起こした場合に、「Bさんに殴られました」という事実が民事訴訟法…

日本

ドーキンスは、無神論者であることが強烈な偏見と攻撃を受け、無神論者であると告白することが極めて困難な米国の状況を描く。ドーキンスの描写が、誇張されているものかどうか、米国全体のうちどれくらいに当てはまるのか私には分からない。しかし、ある程…

メモ×3

ローティの「アイロニカル・リベラリスト」は、「優しいニヒリスト」と言い換えられるような気がする。そして、ローティは「『優しいニヒリスト』は政治的たりえるか」と問うた。正義も善も信じず、主張せず、人権も公共の福祉も平等も、「妥当な判決」も「…