『自由と行為の哲学』

自由と行為の哲学 (現代哲学への招待Anthology)

自由と行為の哲学 (現代哲学への招待Anthology)

  • 作者: P.F.ストローソン,ピーター・ヴァンインワーゲン,ドナルドデイヴィドソン,マイケルブラットマン,G.E.M.アンスコム,ハリー・G.フランクファート,門脇俊介,野矢茂樹,P.F. Strawson,G.E.M. Anscombe,Harry G. Frankfurt,Donald Davidson,Peter van Inwagen,Michael Bratman,法野谷俊哉,早川正祐,河島一郎,竹内聖一,三ツ野陽介,星川道人,近藤智彦,小池翔一
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2010/08/01
  • メディア: 単行本
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二章に分かれ、第一章では自由意志と決定論の問題、第二章はある出来事をある人の行為としてその人に帰属させる原理は何か、という問題を扱っているアンソロジー

読んでいるあいだは、それぞれの論文に対して何かしらコメントしたいことがあったように思うのだが、忘れてしまったので覚えている範囲でごく簡単なコメントをする。

G・E・M・アンスコム「実践的推論」

アンスコムの結論は非常にクリアであり、かなり納得できるものだ。つまり、実践的推論における「論理」や「妥当性」は、理論的推論(つまり記号論理学でいう推論)と同じものであり、ただその同じ論理や妥当性が、プラグマティックな目的のために使用されているだけである。よって、理論的推論の妥当性と同様、実践的推論の妥当性は心理現象ではない。

ただ、これが行為の帰属の問題にどう関わるのかは、今ひとつはっきりしない。たぶん、この議論によってデイヴィドソンの議論はたしかに何かしらの対応を迫られるだろうが、あっさりと「しかし、行為の帰属という特定の問題においては、その推論を心理的現象として実現しなければならない」と答えることもできるように思う。

マイケル・ブラケットマン「計画を重要視する」「反省・計画・時間的幅をもった行為者性」

「反省・計画・時間的幅をもった行為者性」の議論の進め方は、非常に面白い。「行為者性」という概念にむしろ非親和的だと思われるロックの心理学(?)をほぼ前提にして、さぁ、ではそこに行為者性を組み込むためにはどうすればいか、という議論を組み立てる。

ただ、これらのブラケットマンの議論によって導かれる「行為者性」は、僕たちの道徳的直観、および法律上の責任の帰属の必要性からみて、狭すぎるように思われる。この狭さを維持するとすると、日本の刑法学の人格形成責任論のようなもので補われる必要があるかもしれない。

あと、この二つの論文は、アカデミックな哲学の論文なのではあるけども、なにか自己啓発本的な示唆と影響力を持っているように思える。僕自身、むしろそちらの面で考えさせられたのは秘密だ。