自然な実在論

パトナムの自然な実在論とは、「私に見えている世界」と「ほんとうにある世界」を区別する必要がない、というよりも、とくに理由がないのであれば区別する必要がない、という立場ではないかと思う(というか、そうだとすれば、理解できる)。

中庭に横倒しになった三角柱のオブジェがある。L型の建物がその中庭に接していて、その建物には西と南に窓が一つずつある。西側の窓からは、そのオブジェは三角形に見える。南側の窓からは、そのオブジェは長方形に見える。さて、ある人Aは西側からそのオブジェをみて三角形に見えると思い、別の人Bはそのオブジェをみて長方形に見えると思う。

とくに理由がない限り、話はここで終わる。これになんらの形而上的示唆もない。一つのオブジェが、西側からは三角形にみえ、南側からは長方形に見える。話はここで終わり。この話をこねくり返して、二人がみたのは「ほんとうは」三角形であり、長方形であるから別のものだとかという話は、何かホラーじみたフィクションを作りたいのでなければいみがない。クトゥルフにかけて。