直観主義の数学

オリジナルの直観主義とは、ある論理観ではなく、ある数学観である。そして、今となっては、それは「構成的数学観」と呼ぶほうが分かりやすい。この「構成的数学観」において、ある数学的命題の証明とは、ある構成方法のことである。例えば、全ての自然数に対してそれよりも大きい自然数が存在するという証明とは、全ての自然数に対して適用できるそのような「それよりも大きい自然数」を提供するアルゴリズムの提示であり、具体的には「与えられた自然数に1を加えた自然数を得よ」といったものである。

ところで、構成的ということは、逆にいえば還元的であるということである。何か基礎的な数学的対象があり、他方で基礎的な数学的構成というものがあって、基礎的な数学的構成を適切に組み合わせて基礎的な数学的対象からより基礎的でない数学的対象を構成するというのが、構成的な証明ということであるから、逆にいえば、妥当な構成的証明とそれによって構成された数学的対象は、それぞれより基礎的な数学的構成と、より基礎的な数学的対象に還元することができる。

このような基礎的な数学的対象と基礎的な数学的構成という考え方をとっても、それらが基礎的であるということを何か形而上学的あるいは「本質的」な問題であるとみるか、それともたんに規約の問題であるとみるかは、なお選択の余地がある。しかし、ブラウワーは少なくとも後者の立場を取らなかったはずだし、また後者の立場を取っては、構成的数学観の素朴な魅力というのは色あせてしまう。逆に、構成的数学観は、いわば「数学のミニマル・プラトニズム」とでもいうべき立場と組み合わせた場合に、もっとも魅力的なものになるだろう(そこまでいくと、逆にブラウワーから離れるだろうが)。「自然数は神がお造りになった。それ以外は、人間が作った」。

もっとも、コンピュータサイエンスへの応用については、どのような数学的対象と数学的構成が基礎的であるかは規約の問題であると考えても、直観主義数学観はそれなりに魅力的であるかもしれない。ある現実的に実現可能なハードウェアで、どのようなアルゴリズムが実現可能かは、それなりに興味深い問題だ。「自然数はハードウェアがお造りになった。それ以外は、ソフトウェアが作った」。