知的誠実さ

私達は何を知っているか、何を知らないか、何を知りえそうか、何が知りえそうでないか、どの知識が確実そうか、どの知識が不確実そうか、不確実な知識の下でそれでもなおそれが不確実と知りつつ何を決断しなくてはならないか、何は決断しなくてもよいのか、そういった人間の知性の限界に基づく知性の規範、それが「知的誠実さ」ではなかろうか。

そして「知的に誠実な政策」「知的に誠実な政治家」が苦笑させるような言い回しであり、「知的に誠実な市民社会」「知的に誠実な道徳的判断」に至っては意味不明ととられそうなところが、日本社会に、この規範が根付いていないということかもしれない。

例えば、裁判員制度へのさまざまな反発が、市民社会の知的誠実さへの期待や信頼の低さを物語っている。