霊性

『禅入門―カトリック修道女の歩んだ道』*1を読んだ。気になる章からあちらこちらという読み方なので、通読していないけど。カトリックの修道女である著者が、禅の入門的解説と勧誘として、禅の霊性(「東洋的霊性」という言い方もしている)の説明を行っている本。

霊性」という言葉が、とくに説明もなく、そういう言葉を使うことの擁護もなく、読者に当然に理解され、受け入れられる言葉づかいとして、普通に何度も使われていることに、驚く。「霊性」という言葉がとくに説明されていないので*2、どういう意味なのかはっきりはしないが、強いていえば、言語で説明することが困難で、完全に説明することは不可能な、体験的にのみ理解することができる、世界のあり方についての認識、それを獲得する能力といったところだろうか。

こういった意味での「霊性」を無神論者、世俗主義者も持つことができるだろうか? それをどれほど重視するかはともかく、持つことはできるだろう。例えば、散る桜を美しいと感じる、日本人的無常観もまた、そいういった体験的認識のひとつだろうから。

*1:

禅入門―カトリック修道女の歩んだ道

禅入門―カトリック修道女の歩んだ道

*2:僕が見落としていなければ。