キリスト教

最初期のキリスト教*1が、「賢さ」を道徳的性質の一つに数え上げなかったことは、当然かもしれない。ニーチェの議論も興味深いが、たぶんそれとは違った意味で、彼らが知的卓越性を道徳的性質に数え挙げなかったことには、彼らなりの理由があるように思う。

最初期キリスト教教団の重要なポイントの一つは、彼らが「奇跡をその目で見た」という点にある。

間違っているかもしれないが、たぶん、当時、すでに伝統的なユダヤ教徒にとっては、父祖の言い伝えや聖典の記述が偽りのないものであるかどうか、正確な記述であるかどうかというのは、疑問の余地のあるものだったのではないかと思う。彼らは、それらの内容が正確であるために、伝承者や記述者が誠実であること、知的に問題がないことを必要としていたかもしれない。

しかし、最初期キリスト教教団にとっては、そういう問題は全くなかっただろう。彼らは、まさにその問題を解決するために(予言を証し立てるために)、神が彼らのために露骨に示した奇跡をみたのだから。

*1:彼ら自身は自分達がユダヤ教徒とは別の「キリスト教徒」だとは考えなかったが。