疑似科学批判・批判の補足(3)

なんか、誤解があるかもしれないので、はっきりと書いておきますが、私はべつに疑似科学批判に価値がないとか、やめろとかは書いていません。

科学を支持し、疑似科学を批判する側には、たんに方法論、「科学の作法」以上の科学へのコミットメントがあるはずです。それは、科学こそが自然を探求するおそらく唯一の信頼できる方法であって、さらに何か信頼できる方法がでてくればそれを取り込むという信頼や自負があるからでしょう。私は、疑似科学の批判者が、そのコミットメントを自覚していないなどとも言っていません。

私は、そのコミットメントをもっとはっきり出したほうが良いのではないかという考えを持って、一連のエントリを書いているのです。