科学と道徳について
僕は、道徳的判断と道徳慣習は、自然のあり方の認識と密接不可分だと思っている。それをもし「科学の領分を侵犯している」というのであれば、現実に、侵犯している。そして、それで良いと、僕は思っている*1。
逆に、自然のあり方の認識を含んでいない道徳というもののほうが、奇妙な絵空事に思える。それは、どうしても科学と道徳、あるいは事実認識と価値判断を分割しておきたいという欲求が生み出した、無理のある発想だと思う*2。
だって、「あなたの道徳観を説明してくれ」「もっと詳しく」「もっと詳しく」と言われたら、事例を出して説明しないといけないでしょ。「私は、自律と平等の重要性の比率は1:4だと考えている」という説明ができるとは思えないし、できても伝わらない。仮定の事例をもって説明しだすと、その人が社会や自然について、どういったことが「ありえる」あるいは「ありそう」だと考えているかを反映してしまう。現実の事例として出したのであれば、なおさら。そして、それが全部「ありえない」ことばかりで、他の人が「ありそう」だと思うことがまったく反映されていなければ、説得力がなさすぎて、少なくとも、道徳についての民主的な議論の中で生き残れないだろう*3。
だから、道徳は「常時、侵犯中」*4。