疑似科学批判・批判の補足(2)・ブクマコメントに

k-takahashi ニセ科学, 科学 『宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判をいちど読んでみたいなぁ』 それがあったとしたら、むしろニセ(疑似)科学。自然科学が相手にするのは「自然」。自然だけで、むちゃくちゃに強大で強力なのですよ。

なぜ、自然を探求対象とすることが自然科学の特権なのでしょう? 宗教が、自然のあり方を語ってはいけないのはなぜでしょうか?

実際には、多くの疑似科学批判は、探求対象としての自然が科学の占有物だとまで主張するとこまでいっていないように思います。もし、そう考えているのであれば、自然についての議論において「科学的に正しい」とか「科学的な方法」とかいう過剰修飾を行う必要はないはずです。もし、自然を探求対象とすることが自然科学の特権であるならば、自然についての議論において「科学的に正しい」のならばそれは端的に正しいのであり、「科学的な方法」は唯一の探求方法であるからです。「正しい」の代わりに「反証されるまで正しいとみなす」といった言い回しでも構いませんが、探求対象としての自然が科学の占有物ならば、いずれにせよ「科学的」というのは過剰修飾です。

(蛇足ですが、仮に、探求対象としての自然が科学の占有物なのだとすれば、その占有を害している「穏当な伝統的な宗教」もまた、批判されるべきあるように思えます。仏教のいう輪廻転生や東方浄土、ユダヤ教のいうアダム創造、キリスト教のいう処女受胎、イエスの復活、イスラム教のいう死後の復活、こういったものは「自然」について語っているのではなく、「思想」であるなどというのは、私にはただのご都合主義に思えます。)

NATROM NATROM 科学 「このとき、疑似科学批判は、何ができるのでしょうか?」 科学的に効果のある医療という選択肢を提示できる。 2009/04/09 CommentsAdd Star

しかし、科学的に効果のある医療を提示するのは、疑似科学批判ではなく科学の役割であって、かつその提示が信頼できる理由は、科学がなぜ信頼できるかというですから、それは少なくとも「実証」「検証」「反証」というのものの価値の説明を度外視した疑似科学批判が単独でできることではないと思います。