疑似科学批判・批判の補足(4)・ブクマコメントに

IshidaTsuyoshi ニセ科学批判批判 それで、科学を装っていないのに疑似科学として批判されてる物は具体的に何ですか?

『水伝』がそれに近いだろうと思いますが、そもそも、私は疑似科学批判が何かを「科学を装っていないのに疑似科学として批判」していることを問題にしているわけではありません。逆に、科学を装っていないものを批判できないことなどを、セクショナリズムだと評しているのです。

dlit ニセ科学, ニセ科学批判批判 「しかし、擬似科学批判が意図していることがそれでよいのか」良いんじゃないの?それ以上が必要なら自分でやるかそれが必要であることを他の人も納得できるように書くか。

おっしゃるとおりです。「それでよいのか」というのは、不遜な言い方でした。

DocSeri 経験則から言えば、「離れて見たらミソもクソも一緒」という主張が「ミソが何故クソと一線を画し続けてきたか」への理解から発せられていたためしがない。あなたもクソも原子の集合である点で同一ですね。それで?


なんか、さっぱり理解されていなくて、面白い。ミソ・クソというは、科学・擬似科学の例えですよね? 「離れて見たらミソもクソも一緒」という主張を私がしていると、どうやって理解するのか不思議。

T-3don ニセ科学批判批判 科学の特権性を説明しろ、と言うお話?でもニセ科学批判でやっても意味がないような。/信仰や芸術をわざわざ批判せねばならないどんな理由があるのか。結局はここに落ち着きそう。

特権性というか… 疑似科学批判には、少なくとも自然とその一部である人体に関わる事実については、実証(検証なり、反証なり)が最良の方法であるというコミットメントを表明して、できればその理由も説明して欲しいという感じでしょうか*1

samonji 病気で苦しんでいる人を法律学や経済学が救えるわけではない、という理由で法律学や経済学を否定する?/疑似科学批判という立場と、その立場に立つ「人」を分けて考えないからおかしな話になる


意味が分かりません。私は、疑似科学批判を否定しているわけではありません。

*1:最初のエントリでは遠慮なくぶちまけたので、もっと極端なことを書いていますが