道徳の実在論と自由抑圧

道徳の実在論は、必ずしも全体主義や自由抑圧的な政治体制・政策に結びつくわけではない。単純に、人間の自律、市民の自由といった道徳的価値を認めればそれでよいのだ。

実際のところ、道徳実在論者で、全体主義や自由抑圧的な政治体制・政策を強く支持してい論者というのは知らない。逆に、多様な意見と多様な生き方を認める道徳実在論者であれば、少なくともパトナムとリチャード・ノーマンを挙げられるし、「道徳実在論」を少し広く取れば、ロールズハーバーマスといった正議論の論者だってそれに含まれる。

むしろ、道徳実在論者に言わせれば、人間の自律、市民の自由といった道徳的価値を実在的に認められなければ、その非実在論こそ、全体主義や自由抑圧的な政治体制・政策に対して道徳的に批判することができず、結局は、力で自由を抑えつけることに対する抵抗もまたより大きな力を行使しようとするパワーゲームに過ぎないという皮相な構図に陥ってしまう*1

*1:自由抑圧に抵抗する力の行使に道徳実在論者が必ずしも反対しているわけではないし、ときにはそれが必要なものだと認めるだろうけども。