疑似科学批判・批判の補足(6)・ブクマコメントに

T-3don ニセ科学批判批判, 幸せになればいいのに 恐らく。ニセ科学批判を限定された非科学批判だと勘違いしている、のじゃないかと。実証の価値はニセ科学側も共有していて、だからこそ「装う」んです。つまり、実証の価値を全面に押し出してもニセ科学は撃てない。

「実証の価値」については、実証それ自体の価値を共有、つまり科学の手法が事実を明らかにするというコミットメントを共有しているかどうかではあまり問題ではなく、たんに商売上効果があるから科学を装うことも多いのではないかと思います*1

この商売上の効果を「実証の価値」というのであれば、ご指摘のとおりだと思います。ただ、疑似科学批判の目的というか、戦術からいえば、疑似科学批判の主張者が(どのような意味であれ)実証に価値を認めていようといまいと、いわゆる一般の人たちが科学的な装いに価値を認めているのであれば、それで疑似科学批判に意義があるということになるのではないかと思います。私は、そのことを当初のエントリなどで重視していなかったのはたしかですが、理解していなかったわけではありません。

他方で、私は、たしかに、疑似科学批判は非科学批判としては限定されているという視点で書いています。そして、限定されていてはつまらないので、私はもっと限定されていない非科学批判を読みたい、という願望を書いています。それは疑似科学批判に期待するべきことではないので、それは見当違いな欲求だというのであれば、その意味ではご指摘のとおりです。

norton3rd いやー、一連のエントリを読まして貰いましたが誰に向かってモノが言いたいんだかさぱーり解りませんな

少なくとも、はじめのエントリは特定の誰あてに書かれたものではないので、それはそのとおりだと思います。無理に誰あてにというのを言えば、論理実証主義の意図を壮大だと感心するような人に向かってでした。

*1:ゲーム脳」は違うかもしれませんが、「マイナスイオン」にのった業者のなかの少なくとも一部はそうでしょう。