哲学っぽいメモ

実在

たぶん、今まで哲学上主張された実在は、四つに分けることができる。 実念的実在 - プラトンの「イデア」、上座部の「ダルマ」。論理学でいう「述語」にあたるものを実在として扱う。「三角形」「変化」「美」といった実在。 本質存在 - アリストテレスの「…

ディズニーランドで

例えば、ディズニーランドで子どもがくまのプーさんのぬいぐるみに「猫だ」といって抱きついたとしよう。あなたがこの子どもの間違いを正すとしたらなんというだろうか?「いや、それはクマだよ」 しかし、くまのプーさんは本当にクマなのか? 哺乳綱ネコ目…

助動詞とアリストテレス

僕は、少なくとも「助動詞」に関しては、英語より日本語のほうが発達していると思う。「〜〜であろう」「〜〜であるべき」というのはもちろん、「〜〜と思う」「〜〜と考える」「〜〜である可能性がある」「〜〜である可能性はある」「〜〜である可能性もあ…

メモ×3

ローティの「アイロニカル・リベラリスト」は、「優しいニヒリスト」と言い換えられるような気がする。そして、ローティは「『優しいニヒリスト』は政治的たりえるか」と問うた。正義も善も信じず、主張せず、人権も公共の福祉も平等も、「妥当な判決」も「…

感情

感情は、進化の上でコミュニケーションツールとして獲得されたのだと考えてみてはどうだろう。ホタルの点滅発光が複雑化したようなものである。こう考えると、僕たちが、感情を隠すのにこれほど苦労する理由が納得できる。

物理主義

ここのところ、物理主義・唯物論に疑問が出てきた。トンネルや穴は、物理的に実在するのか? 良く分からない。そもそも、そう問うことに何か意味があるような気がしない。

存在論

ハイデガーを読みたくなってきた。たしかハイデガーは、「存在するとはどういうことか?」を問うのが「存在論」だ、といっていたと思う。現代英米哲学の「存在論」や「存在論的論証」と呼ばれる議論は、どちらかといえば「何が存在するのか?」という議論に…

有意味性・実在性・検証可能性

現代英米哲学における、意味論と存在論の絡み合いは、難しい。例えば、キリスト教の教理について「『神』という語は、天地を創造した者を意味する。しかし、神は存在しない」と主張することは可能なように思える。これは、概念分析・言語分析的な主張と、存…

クオリア

日本の俗流クオリア論を撃破する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~僕もいろいろと誤解していた点を明快に説明してくれている。僕なりに、すごく乱暴に一言で同じようなことをいうとすれば、逆転クオリアの思考実験は機能主義に反駁するためにある。 …

物理領域の因果的閉包性

「物理領域の因果的閉包性」という言葉が、最近すごくお気に入りだったが、ちょっと疑問が出てきている。 「物理領域の因果的閉包性」が「質量・エネルギー保存の法則」の帰結なのか、むしろ前提なのか、と問われると少し戸惑ってしまうが、たぶん、「質量・…

デイヴィドソンの「三角測量」

デイヴィドソンの「三角測量」の議論は、かなり乱暴に要約すれば、「真」を定義するのは客観世界だが、客観世界を定義するのは他者だ、というものだろう。これは、真理とは合意である、という説とどこが違うのだろうか? たぶん、違うだろう。合意についての…

カント

いまカントの書籍が手元にないのではげしくうろ覚えだが、カントは、自分の才能を伸ばすことを不完全義務としてあげていたように思う。しかし、ここでいう「才能」とはいったいどんな才能なんだろう。カントによれば、自分の楽しみのために絵を描くとか、他…

数学的プラトニズム

ドーキンス『神は妄想である』を読んでいて、数学的プラトニズムの問題が、少し自分のなかで整理できた。なぜ、量子力学や相対性理論のような高度な物理学は、非ユークリッド幾何学のような高度な数学で表現できるのか?ニュートン力学をユークリッド幾何学…

デイヴィドソンと指示

デイヴィドソンが自分の理論は充足という概念を必要とするが、単純な指示を必要とはしないことを力説する意図は、正直言ってまだうまく飲み込めない。しかし、彼が「概念枠組み」というものを否定することから、彼の理論が指示についての困難な問題を回避し…

哲学の落とし穴

17世紀のデカルトから20世紀の半ばまで、多くの西洋哲学者が陥ってしまった落とし穴があるように思う。それは、マッハ主義に顕著なのだが、理論や実践が要請するために想定しなければならない存在者は、「仮設的」存在者であり、したがって非実在的である、…

合理性

たぶん、僕は知識の因果説、認識的正当化の外在説を支持していることになると思う。しかし、知識の得るための因果関係のあるタイプや、(ソウザの徳認識論のような)知識を得る能力や性質が知識の正当性そのものであるとか、あまつさえ人間の合理性の本性であ…

デイヴィドソン:信念と合理性(2)

仮に、僕にある人が「私は、食パンが太陽の左前方を素因数分解している、と信じている」と言ったとしよう。僕は、この言明を理解することができない。「食パンが太陽の左前方を素因数分解している」とはどういうことなのか、さっぱり分からない。従って、彼…

合理性

人々の意見が異なっている場合でも、僕たちお互いに、相手がそれなりに合理的だと想定することができる。そして、意見が異なることを説明するのに、合理性のあり方が人によって違うと考える必要はない。そうではなくて、たんに知っている事実や注目している…

デイヴィドソン:信念と合理性(1)

デイヴィドソンは、言語コミュニケーションができない対象に信念を帰属させることはできないという。僕には、これは極端すぎる主張のように思える。ただ、こういうことは許されるだろうと思う。ある対象が言葉をしゃべることが想像できないような場合、その…

僕はなぜこの僕なのか?

これを告白するのはものすごく羞恥心を感じてしまうのだが、「僕はなぜこの僕なのか?」という誰もが思いつくような問い、いかにも思春期的な問いが、僕の哲学への関心をずっと引っ張ってきた。そして、この問いにやっと答えが出たような気がするので、その…

道徳的性質

そこで、マッキーにとって重要な問いとは、言語哲学的な問いではなく存在論的な問い、すなわち「実在的で客観的な道徳的性質は存在するか」という問いであり、それに対する彼の答えは「存在しない」である。この結論に至る彼の中心的な論証は、彼が「奇妙さ…

相対主義

例えば、本をいっぱいにつめたダンボール箱を宅急便で送ろうとしたら、「重いですね」と言われるかもしれない。でも、プロレスラーのトレーニング用には、重さが不足しているかもしれない。また、僕にとって栄養十分な食事でも、水泳選手にとってはあまりに…

逆転クオリア(2)

あれ? 逆転クオリアは、行動主義や機能主義への反論だっけ?それなら、もちろん、何の問題もなく反論になっていると思う。

逆転クオリア

逆転クオリア同等の物理現象に対して、異質のクオリアがともなっている可能性を考える思考実験。色についての議論が最も分かりやすいため、色彩について論じられることが最も多い。同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「赤さ」または「青さ」…

今日思いついた哲学ジョーク

「センスデータ論者は、『ビール』を飲むことができないんでしょ? 『ビール』のセンスデータを飲んでるだけだから。」「しかし、センスデータ論者も、美味いと感じることはできるのだよ」

意識とは?

今考えていることのメモ。 僕たちは他者の意識を直接知覚することができない。→脳にそのインターフェースがないことの帰結。 意識は何かに集中するとき、一つのものにしか集中できない。→議論の順序が逆。意識が集中できる「範囲」ないしを「対象」を僕たち…

形而上学とは?

形而上学とは、端的に言えば「存在論」。形而上学のトピックで、科学志向の人にとって分かりやすい例は、「数学的プラトニズム」と「量子力学の観測問題」だと思う。 数学的プラトニズム 数学的プラトニズムとは、自然数とか実数とかいう数学的構造がそれ自…

循環論法と知識の全体論

循環論法は嫌われる。これにはもっともな理由がある。循環論法は、さまざまな偽なる命題を正当化するために使われてきた。しかし、循環論法を擁護する、もっともな理由もある。プラトン以来、哲学者は「知識の確実な基礎」を求めて苦闘してきたが、その中で…

論理の心理説

論理の心理説のどこがまずいのか良く分からなくなってきた。「ある推論(導出)が論理的であるということは、僕たちの脳がそれを極めて信頼するように、進化の過程で形成されてきたということである」「論理学とは、人間の精神を研究する一つの方法である」「…

センスデータ説と直接実在論

センスデータ説と直接実在論のどちらが、僕たちの経験をよりよく説明するのか?パトナムの『心・世界・身体』とサールの『心の哲学』を読む限り、彼らはセンスデータ説の議論を要領よく無力化しており、直接実在論をうまく弁護しているが、僕はこれはある意…