有意味性・実在性・検証可能性

現代英米哲学における、意味論と存在論の絡み合いは、難しい。

例えば、キリスト教の教理について「『神』という語は、天地を創造した者を意味する。しかし、神は存在しない」と主張することは可能なように思える。これは、概念分析・言語分析的な主張と、存在論的主張がそれぞれなされているが、それらは関係していない。「『神』という語は、天地を創造した者を意味する」と述べた後、「神は存在しない」と主張しても、「神は存在する」と主張しても、論理的にも、語用論的にも何も奇妙なところはないのだから。

しかし、「天地を創造した者は存在しないので、『神』という語が有意味ならば、天地を創造した者を意味することはない」と主張するならば、意味論と存在論が相伴い、絡み合った主張がされている。ここには、実在しないものは意味することができない、意味することができるものは実在する、という前提がある。

もう一つ、論理実証主義が持っていたある原理がある。検証可能なものは意味することができる、意味することができるものは検証可能である