形而上学とは?

形而上学とは、端的に言えば「存在論」。

形而上学のトピックで、科学志向の人にとって分かりやすい例は、「数学的プラトニズム」と「量子力学観測問題」だと思う。

数学的プラトニズム

数学的プラトニズムとは、自然数とか実数とかいう数学的構造がそれ自体で実在する、という立場。

数学的プラトニズム(の極端な立場?)をとると、数学者をはじめ数学を扱う人々は、物理的因果関係以外のなんらかの方法によって、数学的構造それ自体を認識し、研究し、扱っていることになる。このような極端な立場は、物理領域の因果的閉包性から、受け入れがたい。

他方、自然を数学的手法で記述して自然科学が発達してきたことをかんがみると、何らかの穏健な数学的実在論をとりたくなる。しかし、数学は自然が内在するなんらかの構造を「発見」しており、数学者は自然科学者の一種であって、数学的定理もまた実験によって反証されるのだ、というのは一般的な数学の理解に反する。

この微妙な狭間で、数学的知識を認識論上どこに位置づけるのか、その「確かさ」の源はなんのかということが問題になり、それに対応して数学的構造の存在論上の位置づけが問題となる。

量子力学観測問題

エヴァレットの多世界解釈(をハードコアに解釈すれば?)、この世界でない他の世界が「存在する」ことになってしまう。

しかし、他の世界が「存在する」というのは、よくよく考えてみれば、どういったことを意味しているのか、かなり漠然とした話ではないだろうか。また、僕たちはそれをどう認識するのか、検証するのか、ということがさっぱり分からない。

ここで、他の世界が「存在する」ということに明確な意味があるという考えと、それはフィクションであるという考えが対立することになる。