逆転クオリア

逆転クオリア

同等の物理現象に対して、異質のクオリアがともなっている可能性を考える思考実験。色についての議論が最も分かりやすいため、色彩について論じられることが最も多い。同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「赤さ」または「青さ」を経験するパターンがよく議論される。逆転スペクトルとも呼ばれる。

クオリア - Wikipedia

僕は、この思考実験がどんな問題を引き起こしているのか、理解できなくなってしまった。


逆転クオリアの現象はありえるだろうし、現在それを確認する方法はないが、医学が発達すれば被験者に意図的に逆転クオリアの状況を作り出し、そして被験者に報告してもらって逆転クオリアの状況が発生したことを確認することができるかもしれない。

これのどこに問題が?


僕は近眼で乱視だから、メガネやコンタクトレンズの助けを借りなければ、10m先のものでさえ、視力の良い人とは異なるクオリアを感じる。現代の医学は、水晶体をコントロールする筋力を麻痺させる目薬などを使って、似たような状況を作り出せるし、被験者に報告してもらうことだってできる。

これに哲学的に深遠な問題があるようには思えないし、逆転クオリアの状況だって同じではないだろうか?


被験者が誠実な応答をしないかもしれない、という可能性はある。しかし、それにどんな哲学的問題が?

僕たちは他人の感じているクオリアを直接感じることができないから、逆転クオリアを直接検証することができない。それなら、自分が被験者に立候補すれば良いだけでは?


逆転クオリアの思考実験は、「正常な」クオリアを持っている人と「異常な」クオリアを持っている人は、何か「別の世界」に住んでいるような示唆を与える?

詩的な意味、比喩的な意味ではそうだろう。

しかし、逆転クオリアの思考実験は、そもそも「正常な」クオリアを持っている人と「異常な」クオリアを持っている人が、同じ客観的な世界の中の同じ対象を知覚しているという状況を前提としているし、それを前提としないとそもそも意味が分からない。

だから、その二人が厳密な意味で「別の世界」に住んでいるということは、ありえない。それは、思考実験の前提に反する。


逆転クオリアの思考実験は、「正常な」人のクオリアと「異常な」人のクオリアと、「どちらが本当の色か?」という問題を示唆しているようにも思える。

しかし、それには「どちらも『本当の色』である」と答えて、それで良いのではないだろうか。

前述のようにクオリアの「正常な」人とクオリアの「異常な」人も、どちらも同じ客観的対象を認識している。そして、同じ対象がほぼ同じ因果関係を持って、それぞれの人にクオリアをともなう認知を引き起こしている。だから、どちらも問題なく対象を認識しているし、どちらかが「間違っている」と考える理由もない。