メモ×3

  • ローティの「アイロニカル・リベラリスト」は、「優しいニヒリスト」と言い換えられるような気がする。そして、ローティは「『優しいニヒリスト』は政治的たりえるか」と問うた。正義も善も信じず、主張せず、人権も公共の福祉も平等も、「妥当な判決」も「正当な報い」も「当然の権利」も「当たり前の義務」も信じず、また主張せずに、政治的主張をし、政治的な判断することなどできるだろうか? と。
  • パトナムの内在的実在論が分かったような気がする。内在的実在論は、「認識を超越した実在」を否定する。しかし、「認識を超越した実在」を想定することは、人間理性に課せられた抜きがたい前提? 願望? 習性?だと、とらえる。そして、その「認識を超越した実在」と人間の認識の関係を論じる。しかし、フロギストンと燃焼の関係を論じることは、フロギストンの実在を認めずに可能なのか。
  • ローティ、パトナムの存在論的立場は近い。しかし、ローティは政治について語るから相対主義プラグマティズムとしてそれを語り、パトナムは科学について語るからそれを実在論として語る。