法律論の論理

  • 民事訴訟法学に、「事実の証明があったというのは、何パーセントくらいか」という議論がある。例えば、Aが「Bさんに殴られました。かつ、怪我しました。治療費払わせてください」という訴えを起こした場合に、「Bさんに殴られました」という事実が民事訴訟法上「証明された」というのは、その確率が何パーセントくらいなら良いのか。これについて、50%以上(「証拠の優越」)ならそれでよいという説と、80%〜70%くらい(「確信」)でなくてはならないという説が争っている。しかし、良く考えたら、「Bさんに殴られました」という確率が70%で、「怪我しました」という確率が70%なら、「Bさんに殴られました。かつ、怪我しました」という連言の確率は49%になる*1。そうであるのに、どちらの説も、「Bさんに殴られました」が70%で、「怪我しました」が70%なら、「Bさんに殴られました。かつ、怪我しました。」という証明があったものとして扱っているように思う。
    • 「AかつB」という連言は「A」と「B」の最小値をとる演算をやっている、ファジィ論理に従っていると考えれば良いが・・・
  • 要件事実論では、Aという事実があった場合、原則として請求認容。しかし、Bという事実があった場合、抗弁を認めて請求棄却。しかし、さらにCという再抗弁、請求認容。こういった、原則と例外の連鎖がずっと続く構造を持っている。A \vdash DA \wedge B \vdash \neg DA \wedge B \wedge C \vdash D*2というわけだ*3
  • 法律論では、理論の抽象的なレベルでは排中立を認め、具体的になればなるほど構成的証明を要求されるように思う。いうなれば ∀x¬¬f(x) |- ∀xf(x) は認めるが、¬¬g(a) |- g(a) は認めないといった感じ*4
  • 法律論の意味論は、自然言語の意味論のサブセット。

*1:二つの事実は独立だとしている。傷害による不法行為を例にとったのは良くなかったかも。

*2:しかも、A \not \vdash \neg DA \wedge B \not \vdash DA \wedge B \wedge C \not \vdash \neg D。・・・これは、もうちょっと考えてみる必要があるかも

*3:むろん、はじめのA \vdash DじつはA \wedge \neg B \vdash Dのことなのである、と考えることができる。しかし、その「じつは」というのは一体どういう意味なのだろうか。

*4:これはもうちょっと整理して考えたほうが良いかもしれない。