志向性

言語における指示、つまり、ある発話のある単語が何かを指示するということは、言語の使用の一種なのであって、他のさまざまな言語によるコミュニケーション、命令、懇願、求愛、挑発、侮辱と同じように失敗したり、成功したりする、という考え方は理解できそうに思う。「山田さんがさっきここに来て…」「ごめんなさい。どの山田さんですか?」という会話がなされるとき、指示が失敗している。

しかし、心の志向性、つまり信念とか、意図とかにおける指示が失敗したり、成功したりするということはありえるだろうか。僕は、これもありうる、という考え方に傾きつつある。