記憶の改変

認知的不協和の話で、思い出した。たぶん認知的不協和の一種だと思うのだが、僕たちは自分に都合が悪いことは、記憶を書き換えるらしい。

恐ろしいことだ。僕があのときにこうした、それはこうだからだ、と考えるとき、その全てが事実ではない妄想かもしれないというのは。しかも、「こうだから」のほうが妄想なのか、「こうした」のほうが妄想なのか分からないというのは。

両方とも妄想なら、まだ救われるのだが。