[哲学っぽいメモ] 諸法無我と輪廻転生

仏教の諸法無我の教理は輪廻転生の思想を否定する、といった理解がたまに見られるように思うが、僕は賛成できない。

なるほど、諸法無我の教理は「常住不滅の魂」の実在を否定するだろう。しかし、仏教においても、生前の人間の精神を、少なくとも仮設的には語りうる(そうでなければ、釈迦や弟子達が悩んだり、苦しんだりするのは、一体どういう意味においてなのだろうか)。

諸法無我の教理は、精神(心)が実在するのか、それが存在するとはどのような意味においてか、一時的現象に過ぎないのかということに関わる。他方、輪廻転生の思想は、精神が実在するのか、それが存在するとはどのような意味においてか、一時的現象に過ぎないのかということではなく、それが身体の死によって断絶するするのか否かということに関わっている。

したがって、精神は一時的な現象に過ぎないとしつつ、身体の死によってもその現象は断絶せず、継続するとして、諸法無我の教理と輪廻転生の思想を両立させることは可能だろう。唯識思想は、身体の死によって断絶しない現象としての精神として、阿頼耶識を立てたものと思う。

もっとも、僕自身は、物理的因果の閉包性から、身体の死によっても断絶しない精神現象を認めず、輪廻転生を否定する。