『アップルシード』

アップルシード』を読みたくなってきた。

アップルシード』で、士郎正宗は問う。ユートピアは設計できるか? 「人間が幸せであるように」と人為的に設計されたユートピアで、人間は幸せになれるか?

コンクリートジャングルが嫌だというのなら、公園を作ろう。人間に尽くす者が必要だというのなら、人造人間を作ろう。政治を人間に任せられないというのなら、政治決定用のコンピュータを作ろう(政治に人間味が必要だというのなら、人間味を持った人造人間を作ろう)。常にかいがいしく、不平不満を言わない人造人間が気持ち悪いというのなら、ときに笑い、ときに泣き、ときに苛立ち、ときに拗ねることを人造人間にプログラムしよう。

そういう作られたユートピアで、人間は幸せになれるか? 「人間が幸せであるように」と人為的に設計されたユートピアで、人間は幸せになれるか? 士郎正宗は迷いながら、また戸惑いながらも、次のような答えを出さざるを得なかったように思える。

人間は幸せになれるだろうどうしてそこまでして造ったユートピアで幸せになれないということがあろうか

SFの結論としては、稀な例だろう。