『ゼーガペイン』『心の哲学』

ゼーガペイン』では,人間の意識が量子論の不確定性と結び付けられていた。いわく,AIは量子論的不確定性を持っていないから人間と同じではない,イェル=シズノは量子論的不確定性を持つから人間と同じ精神をもっている,と*1

これは,人間の心*2が存在ないしは実現するためにはその挙動が量子論的不確定性に深く依存する物理的基盤がなくてはならない,とい考え方だろう。これは,わりと見かける見解だ。


しかし,僕はこの見解がよく理解できない。量子論的不確定性というものが物理的現象の非決定性を表していること,意識をもつ主体による観察によって波動が収束することを受け入れたとしても,そのことと心の物理的基盤の問題とがどう関係するのかがよく分からない。

もし,心の存在・実現を物理的基盤に基礎付けるというアプローチをとるなら,脳(+他の身体のさまざまな器官)の活動の理解を,ガソリンエンジンの動作の理解や,火星の大気の活動の理解,コンピュータの動作の理解と区別する理由はないだろうし,おそらく区別するべきではない。そして,それらは等しくマクロな現象であって,量子論的不確定性というミクロの現象から影響は,等しく限定的だろう*3

僕たちが物理的現象の決定論に抵抗する中心的な動機は,「自由意志」を擁護したいからだと思う。しかし,量子論的不確定性によって物理的現象の非決定性を強調しても,「自由意志」を擁護したことにはならない。僕たちが擁護したい非決定性は,「ランダムだ」という意味での非決定性とは異なるからだ。また,観察による物理現象への影響(?)を肯定しても,「自由意志」の物理現象への影響を肯定したことにはなりそうにない。観察によって波動が収束するとしても,それは結局,(一定の確率分布に従って)ランダムだからだ。

ただ,人間の脳が,それを量子論的不確定性を積極的に利用した量子コンピュータと考えないと説明できないほど高機能だ,というのであれば,「人間の心が存在ないしは実現するためにはその挙動が量子論的不確定性に深く依存する物理的基盤がなくてはならない」とい考え方にも,いくらか説得力があると思う。しかし,人間の脳がそこまで高機能であるという証明がない。


ジョン・R・サールは,この種の見解を,心身二元論を前提しそれを正当化するためのアドホックな説明だと把握する。

エクルズによれば,心は神経現象の生じる確立を変えることで身体に影響を与えられるのだが,そのさいエネルギーは入力されない。また,量子力学がそのしくみを明らかにするという。「心と脳の相互作用の仮説とは,心的な出来事は量子論的確立場によって,シナプス前小胞格子から小胞が放出される確立を変えるように作用する,というものだ」このような考えはどこか場当たり的だ。というのも,まず二元論が正しいという確信がはじめにあって,そのうえでそれが物理学と整合性を持つような方法をなんとかして探り当てようとしているからだ。


ジョン・R・サール『マインド―心の哲学』65項*4


これによれば,心の理論において量子論的不確定性を援用している理論は(そのような理論の全てではないかもしれないが),唯物論ではなく,心身二元論である。それは,量子論的不確定性を援用して,脳と心の相互作用を説明しているのであって,心が脳によってどう実現されているのかを説明しているのではない。つまり,これは,物体である脳に,物質とは異なる実在である魂がどのように宿るのか,という説明なのである。


しかし,そのように理解したほうが,つまり心身二元論をとったほうが『ゼーガペイン』のエンディングに納得がいくかもしれない。エンディングの「リョーコのお腹の子どもはイェル」という暗示は,心身二元論をとったとき,つまり不滅の魂を想定したときに最もすっきりと解釈できる。

そうすると,『ゼーガペイン』は結局,心身二元論を前提した物語だったのだろうか。

*1:あまり正確には覚えていない。

*2:「Philosophy of Mind」という哲学分野における「mind」の訳語として「心」が定着しており,この記事では「Philosophy of Mind」=「心の哲学」からも引用するので,「心」という単語を使う。でも,この文脈には「心」よりも「精神」という単語のほうがふさわしいし,「Philosophy of Mind」における「mind」の訳語としても「心」ではなく「精神」のほうが僕はしっくりくる。なんというか,「心」という表現にはなんとなく情緒的に肯定的な響きを感じるし,「心の機能として,認知能力や推論能力があげられる」という文章よりも,「精神の機能として,認知能力や推論能力があげられる」という文章のほうがしっくりくる。

*3:例えばトランジスタの動作に量子論的不確定性が関係するように,脳の活動に量子論的不確定性が関係することを否定するつもりはない。そうではなくて,一般にマクロな機械の動作にもミクロな不確定性が影響する以上に,心の存在・実現には量子論的不確定性が密接に関係している,という見解を問題にしている。

*4:

マインド―心の哲学

マインド―心の哲学