類似性

類似性は,日常的にもおそらく科学的発見や数学的研究の過程においても知識の重要な源泉であるが,知識の正当化の根拠としては一級品の地位を得ていないように思われる。

僕たちは,発見の過程においては,往々にして「どこか似ている」という感触から考え始める。しかし,何らかの理論を正当化するためにはそれらが「どのように似ているか」を明らかにする必要があり,それを明らかにした後は類似性は独立した説明価値を持たなくなる。

なぜなら,AとBとの間のある類似性を見出すということは,AとBの両方に同じ述語を適用することと,おそらく同じことであるから。つまり,「AとBは,それが『赤い』ということで似ている」と述べることは,「Aは赤く,かつBは赤い( Red(A)∧Red(B) )」と述べることと同じことである。

しかし,次のような疑問はどうだろう。「AとBが似ている」と述べることは,「ある述語Xが存在し,AはXであり,BはXである( ∃X(X(A)∧X(B)) )」と述べることと同じか? そして後者の述べ方をナンセンスなものとして拒否するならば,前者についてもナンセンスなものとして拒否しなければならないのか?