仏教

仏教とは宗教ではなく哲学である、といったことが言われることがあるが、僕は、仏教とは宗教だと思う。


そのトリヴィアルな根拠は、最初期の仏教経典にさえ、釈迦の超能力に言及する描写があり、人々が彼がその超能力を持っていることを根拠として(少なくともその一つとして)彼の教説に従うことを肯定的に描く記述があることを挙げられる。


仏教は、「人生は苦である。苦しかない」(「一切皆苦」)という主張とともに、「それでもなお、人生の苦から逃れることができる」(「涅槃寂静」)という主張を行う。

たしかに、「一切皆苦」と「涅槃寂静」の緊張の解消を、仏教は「諸行無常」と「諸法無我」を使って説明する。「我々は、いずれ失われる富や若さや他人の評価に執着している。そのために、苦しみが生まれる。しかし、あらゆる執着を消し去ってしまえば、苦しみから逃れられる」。

しかし、僕たちがあらゆる執着を消し去ってしまうということが可能であるように、僕には思えない。だからこそ、仏教は「一切皆苦」という一見強すぎる主張を行うわけだし*1、「悟り」というものが現にかなり神秘化されている。

それでもなお、仏教が「涅槃寂静」を信じる中心的な根拠の一つは、最初期の経典ですでに神秘的に描写されている(それゆえにその経典が全く事実だけを伝えているということは、少なくとも世俗的な見地からは信じがたい)半神話的な人物が「涅槃寂静」に到達したという伝説だ。


だから、「涅槃寂静」を哲学的分析ではなく、信仰だとみなすべきだと思う。そして、ここに、仏教が宗教であることを見て取ることができるように思う。

*1:最初期の仏教も世俗の人間は「涅槃寂静」に到達できない、と考えていた。