道徳的判断と認知的判断

ナチ党員は邪悪であり、かつまた彼は世界について非合理な見方をしている。ナチ党員についてのこの二つの事実は、結びつき、相互に関係しあっている。しかしそのことは、ナチ党員が邪悪であるのは、主に、彼の世界観の非合理性が邪悪を構成するという意味で、彼が世界について非合理な見方をしているゆえである、ということは意味していない。

パトナム「価値、事実、認識」『理性・真理・歴史』314項


しかし、大胆にも、次のように言っても良いかもしれない。ある人が邪悪であることを僕たちが知ることができる根拠は、主に、彼が認知的に不合理*1だからである、と。パトナムも、結局は同じことを考えているのかもしれない。


とくに、ナチ党員が道徳的に不合理であることは、彼らが非合理な未来を信じていたこと*2、ありもしないようなユダヤ人の陰謀について真剣に話したこと、人種間の生得的能力の違いというものを重視しすぎたこと、そしてそれらの認知的な不合理性がなければ彼らはあのような行動をとらなかっただろうことから、彼らの道徳判断は不合理なものであったろうと僕らは結論して良いのではないか。

これは、全く同じように、太平洋戦争時の日本人にもあてはまる。

*1:これに、想像力の欠如(または偏向)、を付け加えて良いかもしれない。

*2:少なくとも、それが正確な未来の予測でなかったことは、歴史によって証明された。