神と人間と自由意志
一度読んでさっぱり理解できなかった神学の入門書*1を読み返すのが、なかなか楽しい。少し読んで、あれこれと考えてみて、また少し読んでの繰り返し。
さて、キリスト教における唯一神の「全能性」というのは、極めて難しい問題を引きおこす。神が全知全能の方であり、この世界を創造されたならば、なぜこの世はこんなにも悲劇や悪に満ちているのだろう?
我々への試練として与えられた? 我々には難しすぎて計りがたい何か遠大な目的のため? ああ、なるほど、1歳の子どもが階段から落ちて死んでしまうのも、小学生の子どもが酔っ払いの暴走自動車に跳ねられてベッドの上で一生を過ごすのも、空き巣を見つけてしまった老人が殺されるのも、いと高き方の思し召しというわけ? という疑問だ。
この本の説明は良く理解できていないが、たぶん次のようなことだと思う。
- 神は全能ではあるが、その全能性を限定することができる。
- 神は望むならば、「重すぎて自分では持ち上げることのできない岩」を創造することができ、またその岩を持ち上げることはできない。同様に、「自分ではどの目が出るか予測することのできないサイコロ*2」を作ることもできるだろう。さらには、「自分(神)では、それがどのように判断し、どのように行動するは予測することもできず、確定的に操作することもできない自由意思を持つ人間」を作ることもできる。
- 神は、偶然に満ちた世界と、自由意志を持つ人間を創造した。
- よって、神はもはやこの世界を確定的に操作することができない。