道徳非実在論の認知主義

メタ倫理学における認知主義、つまり「道徳的に何が善であるかについて、我々は決断するのではなく、認識するのである」という立場でありながら、同時に道徳非実在、つまり「道徳的に何が善かは、(現実に存在する性質や存在者からは?)客観的に決まらない」という立場があるらしい、というのは教科書などを読めば分かるのだが、具体的にイメージできず、それはありえない組み合わせなのではないかと思っていた。

だが、昨日ふと気づいたのだが、「道徳的に何が善かは、数千年前(あるいは数万年前)、神によって指令されたことに基づく」という立場であれば、認知主義でかつ道徳非実在論の立場ということになるのではないだろうか。

この立場によれば、何が善であるかは僕達の主観とは独立に神によって定められていて、僕達はそれを認識するほかないということになるので認知主義となる。しかし、あるもの又はあることが善であるのは、それ自体の内在的な性質によるのではなく、ただ神がそう指示したために過ぎないのであるから、道徳実在論ではない。