「本質的に…」

世間の賢い人々は、「本質」とか「本質的に」という言い回しが、ほとんど役に立たない修辞であり、そのような言い回しを多用する人を信頼すべきでないと、いうことを良く分かっているように思う。

この世間知を、もう少し洗練させて言ってみよう。


アプリオリな知識がある」という形而上学又は認識論に立ち、アプリオリな知識の対象について述べるのでなければ、本質などという概念に意味はない。経験的な知識については、便宜にかなった分類定義で事足りるからである。

そして、我々のいわば「役に立つ知識」の中に、アプリオリな知識があるとすれば、それは数学的な知識のみである。よって、数学的な問題以外において、「本質」を持ち出す必要はない。

そして、現代の洗練された数学手法を利用しているかぎりは、おそらく数学においても「本質」を持ち出す必要はなく、公理で十分なのである。