神道

  • たしか,司馬遼太郎が,「神社の所在地は,かならず清々しく気持ちがよい。神道の基本は『気持ちがよい』ということにある」というようなことを書いていた。
  • ある現代の神道家が,「神道は体系だった教義を持たないが,それぞれの神社に受け継がれる祭祀と縁起(=神話)がその教義である」といったことを書いていた。

僕は西洋哲学や西洋倫理学をあれこれとかじるのが好きだが,ナショナリスティックな欲求も否定しがたく,「神道」になにかしらの哲学的意義,哲学的真理,倫理学的教訓が含まれていいてくれればいいのに,自分がそれを認識できればいいのに,という気持ちがある。

しかし,最近,神道には建築様式,装飾,服飾,祭祀,立ち振る舞いの「美の様式」*1があり,(少なくとも僕にとっての)神道の現代的価値はその審美的価値で十分ではないか,と考えるようになった。

まぁ,巫女萌えで何が悪い,それこそが神道,と。

*1:神道の持つ「美の様式」を,「清浄」または「ケガレの忌避」に一元化することには,僕はちょっと抵抗がある。